はじめてのオーラソーマ No.302 2021.11.12
みなさん、こんにちは。
えつこです。
今回も「はじめてのオーラソーマ」をお読みいただき、ありがとうございます。
前回のぱりさんのお話は【色が与える印象・影響・3】でした。
まだお読みでない方は、こちらからご覧くださいね。
今回のテーマは、【イエロー・エネルギーの色彩心理】についてです。
三原色のうち、最初に表れたのがブルーですが、次に表れたのがイエローです。
みなさんにとって、イエローはどんな感じがしますか?
私にとって真っ先に浮かんだのは、幼稚園生の黄色い帽子やバッグです。
幼稚園生は、無邪気で純粋で、冒険心にあふれています。
子どもたちを想像すると、笑い声やはしゃぐ姿が浮かびますね。
イエローは“自分(個)”を表す色です。
私が“私である”ことで人生は楽しいものになります。
みんながみんな同じだったらつまらないですよね。
しかし、それぞれが“私が私である”と、あなたと私の“私”は違ったものになり、そこから衝突や違いが生まれてきます。
たとえば、子どもは自分が愛されたいがために、誰かより優れていることや勝利することを覚えて育ちます。
ちょうど胃のあたりで、感情を司る場所です。
人との差異を通して自分の思う通りにいかないと、もしくは思っていることを表現できずにいると、それはストレスになります。(緊張すると胃のあたりがキュッとなって、思わず手で押さえてしまったりしますね)
ヴィッキーさんは太陽神経叢を“スパゲッティ・ジャンクション”と呼んでいました。
それはスパゲッティのように、神経がからまっている状態を表しています。
イエローは光にも似た色です。
からまってたスパゲッティは混乱していますが、からまりがほどければ、緊張や不安はなくなり自ら輝くことができます。
どちらにもイエローがたくさん含まれていますね。
私たちが比較や競争からではなく、お互いをリスペクトしあって生きることができれば、世界は光に満ちて、楽しくて、笑いにあふれます。
そんなイエローの世界をちょっとのぞいてみましょう。
それでは、今回のぱりさんの【イエロー・エネルギーの色彩心理】を、どうぞお読みください。
えつこ
色彩心理学としてのオーラソーマ:
第13回【イエロー・エネルギーの色彩心理】
色彩は現象世界の視覚的側面全般に関わる
とても普遍的な属性ですよね。
現象世界というのは
私たちが感覚機能(つまり五感)を
通じて知覚している世界です。
この現象世界が存在するためには、
まずそれを知覚する主体である「自分」が必要です。
次いで、その「自分」が知覚する「対象物」
(「主体」に対して「客体」ともいいます)が必要です。
そのような「主体」と「対象物」という
一対の対極の存在が前提されているわけです。
この「主体」と「対象物」というペアは
現象世界に住んでいる私たち全員が
暗黙のうちに受け容れている根本的対極です。
現象世界は「二元性の原理」の支配下にあると言わる
その「二元性」の根底にあるのがこのペアです。
そしていちど
この「主体」と「対象物」というのは“別のもの”
という根本的「二元性」が受け容れられると、
今度はその主体である「自分」から見ると、
現象世界は対象物の集合として見えてくるのです。
そういう「自分」の立場から見ると、
現象世界を構成するそれぞれの対象物は
「大小」「上下」「優劣」「美醜」「善悪」など、
それこそ数えきれない対極性(あるいは属性)を
帯びて見えてくるというわけです。
現象世界というのは知覚の対象物が持つ
それらの対極性を無視しては在りえません。
つまり、「大きい」と「小さい」は違う
「美しい」と「醜い」は違う、
「賢い」と「愚か」は違う・・・、
という前提に立つことになります。
そんなの当たり前じゃん!?(@_@)
なにを当たり前のことを言ってるの!(?_?)
ですよね。(*^_^*)
というわけで・・・私たちが住む現象世界は、
「二元性の原理」が支配する世界になるのです。
ところで話は変わりますが、
通常「色彩」の世界では
「三原色」ということが言われます。
色彩の色合い(つまり色相)を
すべて展開するには
それぞれ代替不能な「三原色」が
不可欠だと言われるのです。
これは現象世界を統べる
「二元性の原理」からすると
ひとつ多いとも言えます。
ところがですね、
たぶんご存知だと思いますが、
色彩の大家ゲーテの
『色彩論』の伝統を受け継いで、
オーラソーマは「二原色」の立場を
とっているのです。
ゲーテが二原色の立場をとったのは、
「ブルー」と「イエロー」のオイルを合わせた
「グリーン」のオイルに光源からの光を当てると、
反対側の白壁に「レッド」が出現することを
実験で発見していたからです。
つまり、色彩光線の混合では、
「ブルー」と「イエロー」の二原色から
第三の原色「レッド」を作れるわけです。
そして「ブルー」「イエロー」「レッド」の
三原色があればその混合比率を変えることで
全色相を展開することができます。
色彩世界を人間心理との関連において
包括的かつ客観的に考察しようとするとき、
このオーラソーマの「二原色」の立場は、
オンリーワンの強みとなるかもしれません。
なぜなら、
色彩世界が展開するそれぞれの色相の意味あいを、
単にランダムな観察結果の集合としてではなく、
可視光線が展開する一種の「意図の物語」として、
別の言い方をすると
現象世界が現れる「原因の世界」の物語として、
その意味合いを考えることができるからです。
色彩の世界に「二原色」の観点を導入することで、
色彩心理学はランダムなデータ観察ではなく
ひとつの世界観として立ち上がってくるのです。
ところで、
現象世界の展開する「二元性」の物語のなかで
その中核となる色こそが「イエロー」なのです。
根元色の「ブルー」とは、
原因の世界でただ独り安らう「全体」が
現象として現われたいという潜在的意図を秘めながら
微睡んでいる状態になぞらえることもできそうです。
すると「イエロー」はそこに兆した
「自分の姿を見てみたい」という“明確な意図”にも
喩えられるかもしれません。
とすれば、
この二原色から合成・生成される「レッド」は
現象世界を顕現させるための“断固たる情熱”にも
たとえることができそうです。
現象世界とは、この三者三様の願いの結果として
実現したものだと言えそうです。
またこの三原色に物理次元的比喩を当てはめると、
「ブルー」を生命をはらむ全宇宙空間に喩えるなら、
「イエロー」はそこに光を投じる太陽にも、
また「レッド」は地球にも喩えられるかもしれません。
人体のチャクラの話に戻るなら、
第3チャクラ:みぞおちあたりの
「イエロー」ですね。
いわゆる「太陽神経叢」と言われる
心臓の下から胃の裏側にかけて広がる
神経細胞の集まりのことです。
人間の身体を一大情報ネットワークと
考えれば、基幹回線が集中した場所ですよね。
すべての選択肢が集中した
場所ですから、いわば全緊張が集中した
場所とも言えます。
人間は成長段階のある過程で
何にこだわり、何なら無視するのかといった、
自分の個性表現のタイプが決まるのでしょう。
そういった判断のなかでの未処理部分も
すべてこの太陽神経叢に集中しているわけです。
不安や恐怖を感じる感情中枢が
この太陽神経叢であるのも納得できますね。
ではこの「イエロー」チャクラは、
どんな機能面を代表しているのでしょうか?
簡単に個々のレベルに触れておきます。
●「イエロー」エネルギーの音色
【霊体】での響き:
叡智の教え、霊的法則の思慮深さなど、
光、太陽(黄色)そのものに共振できます。
【精神体】での響き:
個性を具体的な知識で確認するための
精神的明晰性です。
組織化された思考に共振できますから、
ある意味で強力な意見や意志の基盤ですが、
ここで確認された知恵自体が新たな刺激にもなります。
この明晰性は働きが強力なだけに、
使いこなせずに、使われてしまうと明晰性の反対物、
つまり優柔不断や精神的混乱の響きにも変化します。
支離滅裂な、自己意志のセンスを欠いた皮肉や、
恐怖から来るコントロール衝動にもなりかねません。
【感情体】での響き:
暖かさ、無邪気な笑い、喜びと歓喜。
そして表現への希求、熱狂、勇気といった
個性であることの素直な感動です。
こういった響きが挫折すると、
その裏側には嫉妬、恐怖、自信の欠如、臆病、
神経過敏、落ち込みといった音色にもなりえます。
【肉体】での響き:
3番目の腎臓とも言われる皮膚疾患が関係します。
中枢神経系、黄疸、リュウマチ、関節炎、膵(すい)臓、
消化、吸収など、神経系全般に関わります。
「イエロー」エネルギーに関連して
どんなオーラソーマ・プロダクトがあって、
どのような問題や状況のときに、
どんな支援が提供してくれるのでしょうか?
ここではみなさんの体験談のなかから
2、3拾わせていただこうと思います。
楽しいという気分を知りたい、
自発的に楽しいと思いたい。
そんな根本的な感情すら分からなくなってた私に、
色と香りのパワーはすんなりと力を貸してくれました。
ボトルに依存する気はありません。
でも、使ってとても気分が良かった。
明るい気分になれた。使ってよかったです。
いつのまにか悲観的な物の捉え方が減り、
少しずつ明るく前向きになれたのには驚きました。
いちばんの変化は、
職場の周囲からの私の印象が変わったことです。
もう長く一緒にいて、いまさらイメージなんて
なかなか変わるものじゃないと思いますが、
明らかに私に対する見方、
接し方がカジュアルに親しみ深くなり、
彼らとの関係性が深く親密になりました。
数ヶ月経った今、
彼らは私の大切な理解者になっています。
収穫という名前のボトルですが、
私は結果的にかけがえない『同士たち』を
得ることができました。
当初の目的だった試験合格という収穫よりも、
私の人生において、
ずっと大きな価値や意味があったと深く感謝しています。
●収穫というギフト
すごくたくさんのギフトを受け取りました。
それは自分が長い間種を蒔いてきたからこそ
受け取れたギフトで、決して棚ぼた的なものではない。
種を蒔くというのは、自分に向き合い、
感情や感覚を誤魔化さないことや、
それに伴う行動を選択してきたこと。
使って良かった、素晴らしいボトルでした。
みなさま、ありがとうございました。m(_ _)m
また、次の機会に
別のカラーエネルギーの色彩心理をご紹介しますね。
m(_ _)m
pari 記