はじめてのオーラソーマ No.354 2022.11.11
みなさん、こんにちは。
えつこです。
今回も「はじめてのオーラソーマ」をお読みいただき、ありがとうございます。
前回のぱりさんのお話は「個の時代」について(3)【チャネリング&ニューエイジ】でした。
まだお読みでない方は、こちらからご覧くださいね。
さて。
今回、連載4回で完結となる“アクエリアスの時代”についてですが、ここまではいかがでしたか?
新型コロナ感染症が発生してから約3年経ちますが、ここのところ、いろいろなことがまわりで起こっていることを実感しています。
なかでも、身体や生活、仕事についてなど、生存に関わるテーマがダントツで多いです。
これらは、すべて第1チャクラのテーマです。
3年かけて行ってきたことが、これまでとはまた違った、新しい局面へと各自が向き合っている感じがしています。
これも、新しい時代に立ち会っている最中だから起きていることだと思いますが、あまりにも毎日はスピーディです。
内観したり、自分を振り返っているゆとりがないのかもしれません。
そんななか、最も最近誕生したイクイリブリアムは、「B121 プルトン」(ライムグリーン/オレンジ)でした。
プルトンは去年の9月20日に誕生したので、もう1年以上も新しいイクイリブリアムが誕生していませんが、私はこのプルトンをすでに10本近く使っています。
どんなに新しいイクイリブリアムが誕生しても、「ここでいい」と言う内なる声というか、終わりのタイミングがやってくるものですが、不思議なことにプルトンからは一向にその声が聞こえてきません。
そして劇的に「こんな変化があった」というわけでもないのですが、今なお必要な感じがします。(ちなみに、新しいポマンダーのライムグリーンが誕生したときも、同様に「ずっと欲していて、一日にしょっちゅう使っています」というお声を聞きました)
プルトンの、何が私を惹き付けてやまないのか?
理由はわかりませんが、ただひとつ感じているのは、この激動の時代にとてもサポートになっているということです。それも知らぬ間に、そっとです。
本来であればショックなことが起きた場合、それが自分のことであっても、誰かのことであっても、少なからず動揺して、感情は揺れ動きますが、最小限にとどまっているような感じがします。
プルトンの前に誕生した「B119 セレス」、「B120 ペルセポネ」にもいずれもオレンジが含まれています。
ショックなことをショックなこととして気づいている場合もありますが、もしかしたらそのまっただなかにいると、どうにかしようと一生懸命で、ショックにすら気づいていないかもしれません。
そんなときに、オレンジのイクイリブリアムはそっと側にいて、ショックをやわらげて、ヒーリングを促してくれているように感じます。
今回の“アクエリアスの時代”は、オーラソーマ情報サイトのなかにある、みなさまの体験談についてのお話です。
ぱりさんのお話を読むと、その人が呼ばれるイクイリブリアムを使うことで、必要で最善な何かがもたらされていることを実感します。
このような時代だからこそ、一人ひとりが自分らしくあれるように自分を整えることができたらいいですね。
自らが選び惹かれたイクイリブリアムは、その内なる旅のよきお供となり、困難な道の行先にも光を照らしてくれるでしょう。
毎日のわずかな習慣を続けることが、ある日気づいたら自分を守ってくれていた。
そんなことに気づくかもしれませんね。
それでは、「個の時代」について(4)【オーラソーマ体験談の独自性】をおたのしみください。
愛と光を。
えつこ
「個の時代」について(4)
【オーラソーマ体験談の独自性】
体験談検索サイトの公開記念のシリーズ記事、
【「個の時代」について】の4回目・最終回です。
「アクエリアスの時代」は「個の時代になる」
ということが言われます。
“アクエリアス”という言葉を
私たち日本人が初めて耳にしたのは、多くは
1980年代はじめの110.10%『アクエリアン革命』という
翻訳書によってだったと思います。
当時は何やら新しい時代が来るらしいという
気がしたことだけは憶えています。
そのころの気分を思い出すと
「アクエリアス」という言葉が占星術の言葉だとか、
それが天動説の時代からの古い知見であることすら
明確には意識しなかったように思います。
ところが今回
「オーラソーマ総合情報サイト」の模様替えにも関連して
「オーラソーマの体験談」を集中的に読んだとき、
イクイリブリアムの体験者たちの気づきが、
「アクエリアスの時代は個の時代になる」という知見と、
深く響き合っていることが感じられたのでした。
★
■オーラソーマ体験談の独自性
この体験談を読むことは、ひとつの大きな驚きでした。
読めば読むほど、その印象はほんとうに圧倒的でした。
そしてこの“オーラソーマ体験談”というものが、
他に類例のない一種独特の文献であることも
同時に感じられたのでした。
こういう文献はちょっと他にはないかもしれない
と思いました。
これほどの奥深い内的体験を
文字にして明かすというようなことは、
通常は個人の日記か文学作品以外には
ありえないだろうと思われました。
でも、オーラソーマの体験談は
作家が書いた文学作品ではありません。
もちろん、
文章の質のことを言っているのではありません。
なかには感情が迸るように書かれた
文面もあって、文章的に言うなら、
ちょっとテニヲハが合っていない場合さえありますから。
しかし、その文章の背後から、
投稿された方の実際の生活が浮かび上がり、
その現実を呼び寄せている実際の人が存在することが
如実に感じられるのです。
そして何よりも驚かされたのは、
それらの体験談を投稿してくださった方々の
気づきが指し示す方向性の驚くべき整合性でした。
イクイリブリアムを自覚的に使うようになる方々が
気づきはじめることの方向性が
あまりにも見事なまでに一致しているのです。
■体験談の投稿者が気づくこと
体験談の投稿者の方々は一様に、
それまでの自分あまりの自己評価の低さ、
自信のなさを自覚するようになります。
育った家庭環境を含めて、
自分が生育過程で身につけたその自己評価の低さ、
それと連動した自信のなさの結果、
自分の素直な感情を表現することを常に我慢する
習慣を習性ができてしまったこと。
そして、その自分の素直な感情表現を“我慢し”
“押し殺し”てきた事実そのものがどうやら、
現在のその不遇な現実を呼び寄せているらしいことに
気づくようになるのです。
また自己評価の低さや自信のなさが
他人からの評価を過剰なまでに気にすること
につながっていたことにも気づきます。
その同じ自己評価の低さが他人からの
低い評価を誘導する結果になり、
その自分の低い自己評価を
他人のなかで再確認して
“安心”するような悪循環を生み出していた
と気づくのです。
ほんとうは自分はそんなことを望んでは
いなかったのにと。
一方、自分が自己評価を変えて
自分の感覚や感情を尊重するようになると、
それはそれで通用することも発見します。
他人は意外と簡単にその自分の自己評価を
受け容れてくれるものらしいのです。
だとすれば、
自分で自分に対する評価を低めて
その低い自己評価を他人に宣伝することに
なんの意味があるでしょうか?
そしてその低い自己評価には
自分がその感情的卑下に甘んじさえすれば、
あまり責任が伴わないという利点があったことにも
気づきます。
しかし、それでは生きる意味すら喪失することにも
なりかねないわけです。
自分の素直な感覚、感情、
つまり自分の個性エネルギーを表現してこそ
生きていると言えるわけですから。
体験談の投稿者の多くの方々の気づきは
多かれ少なかれ結局そこに行き着くようです。
■「個の時代」への入場切符
イクイリブリアムを自覚的に使用することで
体験者たちに明らかになってくるのは、
自分という固有のエネルギーの尊重だけが、
真の他者への尊敬の念につながるということです。
そして、もし
自分に責任というものがあるのだとしたら
自分の素直な感覚や感情を表現すること
なのかもしれないと。
たしかに、それだけは
他の誰にも代わってもらえないわけです。
ならば、それは自分の責任とも言えるでしょう。
来るべき新たな開かれた世界への
参入を可能にする入場切符は
もしかしたら、それだけなのかもしれませんね。
必ずしも体験談投稿者の皆さん全員が
そんなふうに語っているわけではありませんが。
しかし、個々の投稿者の気づきが
個人的領域での多様な発見であるにもかかわらず、
同じ方向を指していることは確かでした。
皆さんの体験談を集中的・網羅的に読むなかで
「アクエリアスの時代」は「個の時代になる」
という言葉が自然に連想されてきたのでした。
しかし、もう一方には
ますます管理的な方向を深め、
一見ますます硬直的に、不自由で、
息苦しい世界に向って進んでいるようにも見える
社会の現実があります。
言葉を換えれば、
余裕のない人々はますます余裕がなくなり、
余裕がある人々はますます余裕を持つ方向に
二極分解してゆくようにさえ見えます。
いま望まれるのはまさに心の余裕(スペース)
なのかもしれませんね。
★
臨時に挿入されることになった
「個の時代」についてのシリーズ記事は
今回で終わりです。
次回からはまた「ボトルメッセージ」シリーズの
記事をお送りしたいと思います。
楽しみにお待ちください。
m(_ _)m
pari 記