https://artbeing.com/aura-soma/equi/B017.html
ヴィッキーさんのメッセージは、「霊性への新しいはじまり」
ヴィッキーさんによると、このボトルを選んだ人は、「それで、私はどうなるの?」という叫びを耳にしたといえるのだそうです。
それは真の自己を見つけたいという魂の叫びであり、自分が手を伸ばし、呼吸をし、存在の核に触れるスペースを求める声なのです。
周囲からの圧力と要求に翻弄され、人生から自分の真の色が奪い去られてしまったのですが、今こそそれに気づくとき、ということなのです。
上がグリーンであり、下がヴァイオレットという色の言語から考えてみるとおもしろいですね。
吟遊詩人というのは中世のヨーロッパで、真理を探究し、真理を知る人々が、街角や公園で、詩を吟じたりしながら各地を放浪した人々のことです。
その時代は、キリスト教に反する真理を語ることが許されず、魔女狩りなどが行われた時代でもあるので、それら自己の知る真実を詩や歌にして民衆に説いてまわったのだそうです。
また、ある説によると、当時は長男だけが一国一城の主としての家督を相続できたので、次男などは吟遊詩人として各地を放浪して情報を集めたのだともいわれてます。
タロットは「スター(星)」です。
ウエイト版では、裸の女性が右足を水につけ、右手と左手に持った水差しから、それぞれ池と大地に水を注ぎ、水辺にひざまずいています。
背後にはひとつの大きな星が輝き、そのまわりに小さな星が7つほどあります。
そして、背後の木には小鳥がとまっています。
星は希望の象徴でもあります。希望を見いだしたようです。
また、小鳥は内なる声を表しています。 水は感情を表し、また池は潜在意識をも表します。
裸であるので、彼女は自分自身に素直になって、内なる声に耳を傾け、自分の自然な感情の流れを許しているようです。
クロウリー版では、水瓶座のシンボルであり、裸の少女は天を向き、高く上げた左手のカップからは螺旋状の渦のようなエネルギーが流れ、右手に持ったカップから大地に注がれています。
それは、あたかも天からエネルギーを受け取って、大地に注いでいるかのようです。
「天にあるがごとく地にもある」というように、この少女はすべてを存在の流れに信頼し、身を任せているようです。
タワーでのエゴの崩壊によって真の自分自身の本性に気づき、自我や人格に同一化するよりも、もっと大きな存在の流れと、ひとつとなっているようです。
希望は自我の欲望が抱くものであって、自分にとって都合がいいことが起こって欲しいという願いです。
自分は存在とひとつなのだということに気づいたとき、なにが起こるにせよ、適切なときに、必要なことが起こっているのだと信頼できるのです。
えたに 記(2004,10/30)