B081 Unconditional Love(無条件の愛)その4

https://artbeing.com/aura-soma/equi/B081.html

ボトルのメッセージ:思いやりと理解、愛と自己受容の必要

メインテーマ:自分と他者への最上の慈悲、思いやり、暖かさ、愛。

アファメーション:私はなりたい自分ではなく、ありのままの自分自身を愛します。

81番のピンクについて、少し深入りをしてしまいました。

でも、このピンクの愛を知れば知るほど、幸せへのいちばんの近道は、このピンクの愛を生きることだとわかりますね。

そしてまた、愛することが人間として生きることだということも分かります。

ピンクは、レッドクリヤーが入った色ということなのですが、このレッドからピンクへは、動物から人間への量子的飛躍でもあるのです。

レッドのセックスのレベルにとどまる限りは、人間は動物のレベルを生きているに過ぎません。

そのレッドクリヤーの意識が加わることで、ピンクの愛を生きることで、人間は動物から人間に進化するのです。

人間は、レッドからヴァイオレットの虹色を意識的に生きることで人間となることができるのです。

では、レッドのセックスからピンクの愛への変容は、どのようになされるのでしょう?

今回も引き続き、ピンクの愛について、クリヤーな意識を代表して、OSHOに解説していただきましょう。

少し長い引用になりますが、これはレッドの愛ピンクの愛について、最良の解説がここにあると思います。

そして、無条件に愛することのヒントを得ることができるでしょう。


「超意識を達成するには、内なる自己の本質に行き着くためには、二つの道がある。セックスと超意識だ。

セックスは、自然によって用意された扉だ。セックスは自然な行程で、動物はそれを持っている。

鳥はそれを持ち、植物はそれを持ち、人間がそれを持っている。

この自然の扉を活用するあいだは、人間は動物以上ではない。動物を超えることはできない。その扉は動物にも開かれている。

人間が新しい扉を見いだす日こそ、彼に人間らしさが現れてきた夜明けとみなすことができる。

それまでは、私たちは人間ではない。それまでは私たちの中心は動物の中心、自然の中心と一致する。

この中心より高く昇らない限り、これを超越しない限り私たちはまさに動物のレベルにいることになる。

・・・・

石炭をダイヤモンドに変容させることに賛成するという意味で、私はセックスの敵だ。私はセックスを変容させたい。

これは、いかにしてなし得るだろう? その方法はなんだろう? 私は、別の扉、新しい扉があけられねばならないと言おう。

・・・・

もし、人間が性欲から救われるとするなら、セックスの扉が開く前に、新しい開口部を創りだすことが非常に重要になる。その新しい開口部とは瞑想だ。瞑想がその新しい戸口だ。

子どもはみな、幼いときに瞑想を教えられるべきだ。子どもは瞑想に通じているべきだ。セックスに反対する偽りの教えは廃止され、瞑想が教えられるべきだ。

セックスの変容へと向かう第一歩は、小さな子どもたちのなかに瞑想がはじまるようにすることだ。

彼らが静かになるための、自分の秘密を守るための面倒を見てやり、彼らに沈黙するように教え、マインドのない境地について啓示を得るように教えることだ。

子どもたちは、すでに、大人の標準よりは静かで平和に満ちている。もし彼らが正しい方向に導かれ、沈黙と落ち着きを、毎日のちょっとしたあいだだけでも実行するように教えられたら、14歳になるまでには、新しい扉が開く。

そうなれば、セックスが頭角を表すとき、エネルギーが湧き上がり、まさにあふれ出ようとするときに、それは、すでに開け放たれている新しい扉を通して流れる。

子どもたちは、セックスの体験よりずっと早く、瞑想の静けさ、至福、喜び、時間のない状態とエゴのない状態にすでに気づいていることになる。

このように慣れ親しむことは、彼らのエネルギーが誤った通路に流れるのを防ぐ。それはエネルギーを正しい道へと転じる。

・・・

どの家庭も、子どもが沈黙の内へと入ってゆくのを助けるための定められたプログラムを持つべきだ。

それが可能になるのは、あなたもまた親として子どもたちとともにそれを実行するときだけだ。沈黙して坐る毎日の決まった時間が、あらゆる家庭で定められるべきだ。

人は、もしそれが必要ならば、食事をやめることにすべきだが、1時間の沈黙は、どんな犠牲を払っても守られなければならない。

毎日1時間の沈黙が守られていない家を、家庭と呼ぶのは正しくない。それは家庭とすら呼べない。

毎日の沈黙の時間がエネルギーを保存する。そして、14歳になると、それは潮流となって押し寄せ、瞑想の扉を押し開く。

瞑想のその状態のなかで、人間は時間のない状態とエゴのない状態に触れ、魂を一瞥し、至高なるものを一瞥する。

セックスを体験する以前のその頂点との出会いは、狂ったようにセックスを追い求めることにストップをかける。エネルギーはよりすぐれた、至福に満ちた、より高められた道をみつけだす。

これは、セックスを超越する最初の段階だ。その道は、瞑想だ。

・・・・

その次に肝要なのは愛だ。

子どもは、幼いときから愛を教えられるべきだ。人間に愛を教えることは、人間をセックスの迷路へと導くのではないかというのが一般にある恐れだ。だが、この恐れには根拠がない。

セックスを教えることは人を愛へと導くが、それは、性欲へと人を引きずり込みはしない。

セックスのエネルギーは、愛へと変容される。

人間は、彼の内側で育つ愛と同じだけの愛を、まわりの人々に広げることができる。

愛のない者は、セックスでいっぱいになっている。彼らは、セックス思考のマインドのままとどまる。

愛することが少なければ少ないほど、その人の憎しみは強くなる。人間の生のなかに愛が少なければ、それだけその生は悪意に満ちたものとなる。

そして愛の欠けた者たちは、それだけ嫉妬に満ちている。人間は愛することが少なければ、それだけ多くの争いを知ることになる。

人々は、その生において、愛が欠けているのに比例して悩み、不幸になっている。

悩みや嫉妬、虚栄や嘘などに巻き込まれれば巻き込まれるほど、人間のエネルギーは弱まり、誘惑に負けやすく、力が弱くなる。

彼は常に緊張している。この未熟で粗野、低く卑しい感情の唯一のはけ口がセックスだ。

愛はエネルギーを変容する。愛は流動的、創造的であり、よどみなく流れる。
それは満たす。

愛の満足は、セックスによって得られるものよりもっと深く、もっと価値がある。

宝石を得るものが石をかえりみないように、その満足を知るものは、代わりになるほかのものを探し求めない。

・・・・

次に重要なことは、愛があふれるまでに成長することだ。

私たちは愛を愛すべきだ。愛を与えるべきだ。愛のなかに生きるべきだ。

だが、人間を愛するだけでは十分とは言えない。愛に献身することは、その人の人間としての存在を愛でいっぱいにすることだ。

私は、愛における全体的な教育のことを話している。私たちは、一個の石を拾いあげるときでも、友人を抱き上げているかのようにすべきだ。友人の手を取るように、私たちは敵と握手すべきだ。

・・・・

愛にあふれた心を持つことがぜひとも必要だ。愛に満ちた態度こそ、私たちが持つべきものだ。

愛に満ちた心を持つときにはじめて、人間のなかに人間らしさが生まれる。愛に満ちた心に伴って深い満足、深く、喜ばしい満足感がおとずれる。

誰かに対して、あなたがちょっとした愛を示した後、満足の大きな波が、大きな喜びの戦慄が、あなたの存在に広がるのに、あなたは気づいたことがないだろうか? 

満足の最も静かな瞬間は、無条件の愛の瞬間におとずれるものだということに、あなたはまったく気づいていないのだろうか?

純粋な愛は、条件づけによって混ぜ物になっていなかったら、生き延びることができる。条件つきの愛は愛ではない。

・・・・

愛は、あなたの内側でわき起こらなければならない。

植物への愛、人間への愛、見知らぬ人への愛、外国人への愛、月と星へ向かう途上にある者たちへの愛・・・。あなたの愛は常に増えてゆかねばならない。

内側に愛が増すにつれて、人間の生のなかでのセックスの可能性は少なくなる。

愛と瞑想はその扉を開き、その扉は神への扉だ。愛と瞑想が一緒になって神に触れる。そのときには、人の生のなかに性超越が開花する。

そうなったら、全生命力が新しい通路を通って上昇する。そうなったら、その生命力は、少しずつ漏れるということがなくなる。それは決して退かない。

エネルギーは、内側から上へ向かって昇ってゆく。
それは天へ旅して昇っていく。

私たちの旅は、現在のところ、低いレベルへ向かう。その性質上、エネルギーはセックスのなかへと、下へ向かってのみ流れる。

だが、性超越は上へ向かう旅だ。

愛と瞑想は、性超越の基本的な構成要素だ」

「セックスから超意識へ」 (めるくまーる社・出版)


http://amazon.co.jp/o/ASIN/4900612014/oshoartunity-22/ref=nosim


長い引用になってしまいましたが、これがレッドからピンクの愛への道をよくあらわしていると思います。

「愛と瞑想」の道が、その扉を開きます。

ここで、私はもう子どもではないから手遅れだわ、と思わないでくださいね。

OSHOは、このように言っています。

「もし、愛と瞑想があなたのなかにまだ生まれていなかったら、あなたの今までの生は無効だ。

あなたは、まだ生まれていない。だが、努力を始められないほどに遅すぎるということはけっしてない。

私たちはみな、より高い生のために努力すべきだ。そしてそのためには、けっして遅すぎるということはない。

だから、自分はもう子ども時代を過ぎてしまったのだから、この話は未来の世代にしか意味がないと言って、私の言葉から結論を下さないことだ。

いかなるときであれ、正しい道に戻れないほど遠くまで、誤った道を行った者は誰もいない。真の光から恩恵を受けられないほど、わがままになっている人間はひとりもいない」


これを読んで、では「愛と瞑想」の道を歩みたいと思ったら、どうすればいいでしょう?

それにはただ、ここにあるOSHOのガイドに従っていけばよいのです。

あるいは、オーラソーマの人でしたら、この81番のピンクを感じながら、ピンクに共鳴する自分の内側の愛を感じる道具として、このボトルを塗ってみるのもいいでしょう。

あるいは、「ハート瞑想」が、「愛と瞑想」の道にはとても助けになってくれるでしょう。

https://unityinstitute.jp/meditation/heart.html

「ハートを開く」
http://unityinstitute.jp/cd.html
http://artbeing.com/aura-soma/cd/cd24.html

「中心に帰る」
http://unityinstitute.jp/cd.html
http://artbeing.com/aura-soma/cd/cd26.html

 

えたに 記

☆B081 Unconditional Love(無条件の愛)のボトルは、こちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。

https://artbeing.com/aura-soma/equi/B081.html

 

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