呼吸――習得した行動パターン

呼吸――習得した行動パターン
「光の身体の発展」より      マイク・ブース
       沈黙・不動・静寂・平安……現象世界の背景のことを、私たちは色々な言葉で表現するようですね。
それは安らかさの極であり、言葉を換えれば、くつろぎの極とも言えるのかもしれませんね。
そこには如何なる動きも、如何なる区別もありません。
如何なる認識も起こっていないため、何も現象していません。
ある意味では、何も存在していないとも形容できるのでしょうね。
その何も存在していない状態は、昔から「無」と言われたり「空(くう)」と言われたりしてきたようです。
現代の言葉でいうなら、それは「空間」ということになるのかもしれません。
でも、この「空間」は、“何も存在していない”という意味での「真空」(ヴォイド)とは違うのだそうです。
何も存在しないのではなく、すべてが潜在状態で存在しているというのです。
つまり、その「無」とか「空」は、あるもので充満しているらしいのです。
その「無」とか「空」を満たしているのは、何なんでしょう? (?_?)
この「空」を満たしているモノのことを、「意識」と呼ぶこともあるようです。
別の言い方では、「存在」と呼ばれることもあるようなのです。
どうやらその「空」は【存在性】で満たされているらしい。
だから、その「空」は、ほんの微かな欲望の萌芽にも敏感に反応して、ちまち意識の内容物を生じさせるらしいのです。
不思議ですよね。(@_@)
どうやらこの“意識の海”に現象を呼び出すのは、何らかの欲望であるようなのです。
形あるものとして存在したいという欲望があるとき、この“意識の海”は様々な意識の内容物を出現させるようなのです。
でも、いったん、意識の内容物で満たされた現象世界が生じると、それと同時にそれらの内容物を現象として知覚するための認識作用が必要になります。
これは、たとえわずかなものであったとしても、やはり緊張なんですよね。
つまり、現象世界を知覚する、現象世界に生きるということ自体が、何らかの緊張なしにはありえないのです。
生まれてくるということは、この現象世界の内容物の一部(身体と呼ばれる有機機構)に自己同化することです。
それが人生というドラマに参加させてくれるのですが、同時にそれは何らかの緊張を意味することも確かでしょうね。
実際、ドラマを見るのも、ゲームをするのも、くつろぐためではなくて、むしろ緊張するためですものね。
人間は、生まれてくるとき、不必要な緊張まで強いられることがあるらしいです。
今回はマイク・ブース氏の「光の身体の発展」から、そのあたりに関連した話題を伺ってみることにしましょう。
       —————————————————————— ベビーベッドに赤ちゃんが寝ています。 赤ちゃんは、リラックスの仕方を教わる必要はありません。 眠りに落ちるときには、腕や足を自然に緩めることができるように見えます。 呼吸も、ただ吸って吐く、それだけです。 人生の始まりにおいて、彼女はそれほど緊張してはいません。 5歳になる頃には、まるで彼女の身体の化学的性質の中に形成されていたかのようにたくさんの緊張のパターンを学んでいきます
彼女が自分の両親から学びはじめる、これらの緊張のパターンも、遺伝として受け継がれたものです。 私たちが日常の行動や姿勢に関して、両親をモデルとして見習い、練習をすればするほど、私たちの中により多くの緊張を取り入れ、条件づけとなるのです。
呼吸一一あなたは単に呼吸をしている、と思うかもしれません。 でも、そうではないのです。 それは習得した行動パターンなのです。 身体の中での呼吸の形、それは肉体の中に存在している意識の本質に影響を与えます。 過去50~ 100年の間に、たくさんの人たちが産まれた瞬間におしりを叩かれたということを、みなさんはご存知ですか。
その状況を想像してみてください。 あなたは9ケ月の間、暖かいお湯の中に横たわっていたのです。 母性の感情的な意識を感じながら、両親のやり取りの波動や回調を聴きながら、来る日も来る日も暖かいお湯の中で、リラックスしながら、そういった感情の波や、外側から聞こえる厳しい口調、そして外の世界を見る以前に現れるさまざまな色の不思議さに対応する方法を学びながら、9ヶ月を過ごしたのです。
そしてある日、なんの警告もないままに、突然非常に狭い管の中を無理やり押しだされて、誰かに足を掴まれ、お尻を叩かれるのです。 多くの場合、このようにして最初の呼吸、最初の息が身体の中に入ってきます。 息は、その瞬間まで肺に入ってきませんでした。 つまり9ヶ月の間、呼吸は身体の中に入ってこなかったのです。 そんなことは起こらなかったのです。
ですから、世界中の人々の多くが、バーストラウマを抱えています。 これは単に、狭い管を無理やり押し通されたことへのトラウマではなく、安定した9ヶ月間のあとの環境の変化に対するトラウマでもなく、体内に入ってくる呼吸に伴っておしりを叩かれたというトラウマなのです。 もし、これが呼吸の最初だとしたら、その瞬間からなにが起きるでしょう。 適切に呼吸をすることが、とても難しいこととなるでしょう、そう思いませんか? 私たちは、リラクゼーシヨンについて話していますね。 つまり、肉体との関係における意識について話しています。 私たちは、身体の化学反応や、生きる上で完全に依存している基本的な機能について話しています。 この基本的機能はトラウマと関わりがあるのです。
ですから、これが始まりだとしたら、私たちが自分自身をリメンバーするということは、これらのトラウマを乗り越えること、呼吸の可能性を感じるためにリラックスする方法を学ぶことだと言えます。 光、または意識と呼吸は密接に関係しています。 ある意味で、呼吸の活力、意識の活力、光の身体の活力は、すべて互いにリンクしています。 それはリメンバランスのパッケージです。
            『リビング・エナジー』Vol.7(p89-90)

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なるほど。
私たちの多くが「バーストラウマ」を抱えているのは、そういった理由もあるのですね。
ただ、こういうマナーは時代や地域によっても変わるのでしょうね。
それに、いわゆるネイティブと呼ばれる世界にはなかったのかもしれませんし、現代社会でもだんだん少なくなってきているのでしょう。
とはいえ、緊張なしに現象世界を生きることはできないでしょうが。
pari 記

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