ヴァイオレットは「記憶する者たち」

ヴァイオレットは「記憶する者たち」
「色のエネルギー」から   マーグ・シモン(オーストラリア)
       【自分はここには合わない】という感じを持ったことはありませんか?
オーラソーマに惹かれるような方々には、少なからずそのような傾向があるかもしれませんね。
もちろん、表面的にはまわりの人々の話題に合わせることはできるのです。
それどころか、場合によっては、自分もそのことにけっこう熱中したりもしている。
なのに、ふと気がつくと、心の中の別の何処かでは、そんなことじつはどうでもよかったりするわけです。
とはいえ、そんなことを感じてばかりいては生きてはいけませんから、日常生活の大部分の時間はそんな感覚とは無関係に流れていきます。
なのに、ときどきふっと、自分はここには合わないなぁ、なんて思いがよぎったりしているんですよね。(^_-)
まるで、ここ以外の何処かを知ってでもいるかのように。
オーラソーマではこんなフィーリングを“色のエネルギー”の言葉で「ヴァイオレット」と呼ぶようです。
こんなヴァイオレットの人は地上の人生を生きるのが下手なだけなのか?
マーグ・シモンは、いや、そういう人には、そういう人固有の役割があるのだ、といいます。
それは、かならずしもヴァイオレットの人が無理に自分を押し殺して周囲の人々に合わせる努力のなかにあるのではなく、当人の自然なエネルギーでここに対するある種の違和感を表現していることのなかにあるのだと。
これが、自分の本来の居場所を“記憶する者”の奉仕なのだと。
まわりの人達もヴァイオレットの人のそういう在り方を見て、自然に学ぶことがあるのだと。
そう、そういうこともあるのかもしれませんね。
いろいろなエネルギーがあってこその現象世界なのですから。
       —————————————————————— ヴァイオレット
Violet
それではボトルを前にしたとき、なぜある色により惹かれるのでしょうか。 例えばヴァイオレットに最初に惹かれたとすれば、それは何を意味するのでしょう。 私たちは全ての色であるからこそ、全てが私たちの中にあります。 けれどヴァイオレットと向かい合うということは今生で宝石のその面を特に輝かせることなのです。 それは私たち自身の生活の中でそれらの質を実現し、世界にサーヴィス(奉仕)として与えてゆくことなのです。
ヴァイオレットのエネルギーとは何でしょうか。
ヴァイオレットは「記憶する者たち」であり、私たちがやって来た処の源の響きを持っています。 私は1987年に英国で純粋なヴァイオレットの光を経験しました。 そのフィーリングは「我が家に帰った」というもので、ヴァイオレットの光の中に座った他の人々も同じか同様のことをいいました。 ヴァイオレットのオーラソーマの意味を見るとなぜ、悲嘆――ここに居たくない――とされるのでしょうか。 それは我が家とは私たちがやって来た、そして帰ることを望んでいる内なる処であり、外側の場所のことではないということを忘れてしまったヴァイオレット・ソウルの経験なのです。
彼らはどこにも属さないというフィーリングを持っていますが、それはなぜでしょう。 それは彼らが思い出し、また他の人々が思い出すのを助けるに至ったからです。 彼らにとってこの現実の中に順応したり、属することは心地の良いことではありません。 なぜならその疎外感の中に、より大いなるリアリティー、真の我が家の記憶とつながり自分自身の内にそれを見出す原動力がひそんでいるからです。 アローンネス(ひとりであること)は帰属できない悲劇ではなく、真の我が家につながり、より大いなるリアリティーに生き、他の人々が思い出すのを助けることのできる自由なる魂のことなのです。
ヴァイオレット、サーヴィス(奉仕)の色、は奉仕と奉仕する者の間のバランスのチャレンジでもあります。 真の意味での「奉仕の存在」とは自分自身の最高の表現であり、同時にそれが他の人々の益になることです。 人のために何かをするのではなく、ただあることによって、精神的霊的なエッセンスを生きることなのです。 サーヴィスとは光の奉仕の中で、この奉仕とその中にある喜び(補色のイエローのギフト)を学ぶことです。
誰か他の人のために何かになりたいという欲望の中で自分自身が見えなくなる傾向もあります。 その何かが多すぎてステージ上の全ての俳優の中で本当の自分はどこにいるのかわからなくなってしまうでしょう。 究極の奉仕とは他人のために風のように変わることではなく、自分の内なる響きを持ち、それを生きることなのです。 深い内側の感覚で、生にはより大いなるリアリティーが存在することを知り、自分自身が作り出している幻影を超えたところにあるものを思い出す必要があるだけです。
        『リビング・エナジー』Vol.2(p70-71)
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【真の意味での「奉仕の存在」とは自分自身の最高の表現であり、同時にそれが他の人々の益になることです】……。
【究極の奉仕とは他人のために風のように変わることではなく、自分の内なる響きを持ち、それを生きることなのです】。
たしかに、そんな気もしてきますね。
どの色も、全現象が現れるための必要な音色なのかもしれません。
pari 記
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