レッド、THE I AM、勇気あるパイオニア

レッド、THE I AM、勇気あるパイオニア
「色のエネルギー」から   マーグ・シモン(オーストラリア)
       「私は在る(I AM)」という言葉にはいろいろなニュアンスや用法があります。
現象世界すべてをその上に乗せる“存在の根拠”、いわば“存在感”そのものを表す場合があります。
この意味の「私は在る(I AM)」とはあらゆる現象そのものを支える根拠なので、もちろん、それ自体が形を持って現象することはありません。
この意味での「私は在る」は、“気づき”とか“真我”と言い換えることができるでしょう。
それとは別にたとえば、戦国時代の戦場で「我こそはここにあり」といったニュアンスを表すために使われる「我れ在り(THE I AM)」といった用法もあります。
この意味での「我れ在り(THE I AM)」は、“自我”の主張と言い換えてもいいでしょう。
この身体を持った「我れ」を強烈に主張し、自らを押しとおし実現しようとする意志のエネルギーを、オーラソーマでは「レッド」のエネルギーといいます。
「レッド」にはもちろん「レッド」の強みがあるのですが、あらゆる長所が反面としての短所を持っているように、「レッド」にも「レッド」固有の弱みがあります。
「レッド」とはまわりの状況に関係なく自らを押し通そうとする強さです。
ということは、取りも直さず、「レッド」の強みとは周囲の状況に対する一種の“鈍感力”によって支えられている面があるのです。
これでは「レッド」のエネルギーのみによる強さは、あまり大きな状況を動かすことはできないでしょうね。
お母さんのおっぱいを求めて顔を真赤にして泣きわめく赤ん坊は、お母さんには大きな影響力をもつでしょう。
ある程度その他の人間にも影響力を及ぼせるかもしれません。
しかしそれ以上の大きな環境を動かす力はありません。
それにもともと、赤ん坊に動かされたお母さんが、赤ん坊より弱いわけでもありませんし。(^^;)
つまり、“鈍感力”によって自らの意思を押し通そうとする「レッド」のエネルギーは、ある程度以上の大きな状況には通用しないということです。
では、それ以上の大きな状況を動かそうとするなら、「レッド」はどのようなエネルギーを視野に入れなければならないのか?
マーグ・シモンが「レッド」のエネルギーについて書きます。
       —————————————————————— レッド
Red
それではレッドのエネルギー、そしてこの情熱の色によってかきたてられるハートの持ち主はいかがでしょう。
THE I AM、勇気あるパイオニア。 逆境にめげぬ人。 信念に溢れ今すぐやろうという人。
チャレンジは「全体を見ることができるか」(補色のグリーンのパノラマ的気づきの才能)です。 抵抗に会ったとき、どうするか。 怒るのか、いらいらするのか、恨むのか。 けれど一体何のために?
その抵抗は私の中にもあるからかもしれません。
自分に何かできるということを信じなくなってしまい、私は私自身のパワーと私がつながっているより大いなるパワーの源泉を認めていないということ。 私は活用していないパワーが自分の中にあるということを見るために、無気力な状況を自ら引きつけてしまうのかもしれません。 一つひとつのチャレンジが全体性への機会となるのですパワーはレッドの中に存在し、他の人々に影響を与えます。 レッドがグリーンという両極性のエネルギーを包含したとき、相手の立場や見解を尊重しつつも、影響を与えることができるのです。 そしてレッドの溢れるようなエネルギーは愛としてオープンなハートから流れ出し、光明を得ることが可能なのです。
レッドは、自己に目覚めるエネルギーでもあり、真に「今ここ」に存在することをためすものでもあります。 レッドはまた精神的霊的理想と偉大なる情熱と「違い」をもたらす動機を実現することができます。 ある歌に「もしできるなら、この世界をより良いものにしよう・・・」とあります。 レッドとその光の子であるピンクの質を使えば私たちにそれができるのです。
        『リビング・エナジー』Vol.2(p71)
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【パワーはレッドの中に存在し、他の人々に影響を与えます】・・・。
【レッドがグリーンという両極性のエネルギーを包含したとき、相手の立場や見解を尊重しつつも、影響を与えることができるのです】。
現象世界はじつに矛盾に満ちていますね。(^_-)
それが現象世界というものなのでしょう。
pari 記
       
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