無理強いしないということ
クローディア・ブース

無理強いしないということ 「変化と手放すこと」から                          クローディア・ブース
        オーラソーマには“新しい時代のマナーを学ぶためのツール”……といった側面もあるような気がするのですが、いかがでしょうか。
たとえば、オーラソーマを表す代表的な言葉に、“無理強いしないセラピー”という表現があります。
この“無理強いしない”という言葉は、もしかしたら“新しい時代のマナー”の中核的な特徴の一側面を表しているのかもしれません。
もちろん、“無理強いしない”という態度のひとつの側面は、相手を尊重する、ということでしょう。
しかし、ちょっと内面に立ち入るなら、他者に“無理強いしない”でいられるということは、逆に言えば、その本人は相手が受け入れるかどうかにまったく影響されない、ということを意味しているわけですよね。(^^;)
考えてみると、これはたいへんな余裕とも言えますよね。(^_-)
“新しい時代のマナー”というのは、どうもそういう側面を備えているような気がしませんか。
「日本版リヴィングエナジー」のVol.4に http://artbeing.com/book/LE04.html 「変化と手放すこと」というタイトルの、クローディア・ブースの文章があります。
今回は、その後半の部分からご紹介しましょう。
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無理強いしないということ
私たちがみな、オーラソーマを愛しているのは、オーラソーマが本当に、新しい見通しを開き、私たちの展望の絶え間ない変化を見せてくれるからです。
もしかしたらそれは、「空中の楼閣」かもしれませんが、私はマイクが言う「時とは愛するための機会だ」という新しいパラダイム(時代を形づくる理論的枠組み)にすべての人がコミットしているのだ、という考えかたが好きです。
これは「時は金なり」に対抗するパラダイムです。 「世界が自分に対して何をしてくれるか、ではなく、私があなたと世界に何ができるか」問うてみるのです。   だからこそ、私はいつも、生徒を所有物にしない、ということを話すのです。 ケアをするということは、尊敬とコミットメントをもたらすものであり、ケアをする中で、私たちは生徒が物事を異なった目線から見ることによって利益を得、真の価値を得ることがわかるのです。   ですから、本当に無理強いしないということは、真に美しさをもたらす生の多様性へのケアに満ちた尊敬の念と共に、手放すことへと至るのです。   ですから、たぶん、オーラソーマは私たちにすべての生命を尊ぶことによって、自分自身と他者を敬う機会を与えているのだと言えるでしょう。
私にとっては尊ぶこととは内なる強さを持って凛として立つということ、つまり、自分の内なる強さを認めることです
そしてそのとき、他者を認め、肯定し、受け入れることができるのです。
合掌はこの非常にすばらしい例です。 胸の前で両手を合わせ、おじぎをする。
「私の内にある最高の存在が、あなたの内にある最高の存在におじぎをする」のです。 これは最も神聖な行為――存在するものすべてに神聖さを認めるということです。
地に根づいたハートのスペースが神聖なるものを尊び、敬うことは、光に満ちた喜びの瞬間へと至り、私たちが古い観念を手放し、新しいものへと開くとき、今あるすべてを愛し尊ぶことになるのです。   そんな瞬間を、マイクと私はこの数か月の間にたくさんの人たちと分かち合いました。
マイクと私にとって、このように非常に多くの貴重な時をあなた方すべてと過ごせたことを名誉に、そしてうれしく思います。
                         クローディア・ブース                        (イギリス版 リヴィングエナジー編集者)
                           『リビング・エナジー』Vol.4(p54)
                          http://artbeing.com/book/LE04.html ——————————————————————–
なるほど……。(-_-)
“他者を認め、肯定し、受け入れることができる”ためには、その前に、自分自身が“内なる強さを持って凛として立”っていることが必要なんですねぇ。
自分以上に他者を受け入れることなど、できるはずもないわけですから。
そういうことなんでしょうねぇ……。
pari 記