「お茶をいかが?」

相手を見ていると、目の前に五百ポンドが浮かんだり、それを手に入れても手に入ることにはならない、というようなことが解るというのは、あるいは解ることがありうるというのは、どういうことなんでしょうね?

そういうことが、ほんとうはすでに決まっているということなのでしょうか?

それは、まるですでに書かれている小説の未来のページを、ちょっと開いて見るようなことなのか?

それとも、個人的な欲望に曇らされていない目を持っていれば、少し他の人より先を見通すことができる、といった程度のことなのか?

もし、私たちの人生がすでに完成している小説のようなものなら、自分の人生を生きるためには、先のページを覗いたりはできないようになっているでしょうね。

もし、どのページでも自在に開くことができる人がいたら、その人は他の人と同じようには、この人生を生きることはできないでしょう。

その人にもドラマはあるのかもしれませんが、そのドラマは私たちの人生と同じではないだろうと思います。

たとえば、目の前の何かに夢中になって遊んでいる子どもと、その子が怪我をしないようにちょっと遠くから見守っているお母さんが生きているドラマが、同じドラマではないようなものかもしれません。

霊能者というは、ドラマのなかの他の登場人物たちと違って、時に応じて焦点を変えられる“自在眼鏡”を持っているような人かもしれませんね。

ところで、そんなエピソードを挟みながら、ヴィッキーさんは仕事のかたわらある薬屋さんに通うのを楽しみにしていたようです。

なにか、その空間に親和性を感じていたのでしょう。
時代はすでに戦争がはじまっていたようです。


戦争がはじまって一年たち、当時の私は、ミドルセックスのウエスト・ドレイトンに住んでいました。

駅への行き帰りには、必ず角の古い薬屋の前を通ることになっていて、そのたびに、さまざまな色のボトルに目を奪われたものです。

時には開いたドアから、独特の匂いが流れてきて、奇妙に懐かしい感じに襲われ、ドアのなかを覗いてみたいという強い誘惑に駆られもしました。

それで私は、何かしら口実をつくり、わざわざ店を訪れたものです。

その店は何年も前からそこにあり、古びて、閑散としていました。

ペンキも剥げ、お金のないのがありありと見て取れましたが、にもかかわらず、そこには言うに言えない神秘と、秘められた知識の豊饒な香りとがありました。

それは、ほとんど80歳に手が届かんとするエドワード・スモールブルック・ホースレーと、娘のドリス・マーガレットの店で、私はそこで、ドリスといろいろな話をしました。

父親はほとんど裏の調剤室にいて、店にはめったに姿を見せませんでしたが、私をひきつけてやまぬ匂いは、その調剤室から流れてきていたのです

私はいつも、なぜかしらわくわくする思いを抱いて、店を後にしたものでした。

道路を隔てたちょうど向いには、若い薬剤師があらゆる新しい商品を揃え、店を構えていました。

先輩に当たるその古風な店に対し、ライバル意識と軽蔑の目を向けていたのは間違いありません。

モダンなタイル張りの、防腐剤の匂いのするその店は、ちょうど私の通る道沿いにあり、そちらに行く方が私にとっては簡単だったのですが、なぜか足を運ぶ気になりませんでした。

年はだいぶ離れているのに、ドリス・マーガレットと私の友情は深まっていきました。

あるとても暑い日のこと、私は疲れて喉が乾いていたにもかかわらず、店を素通りできず、うちに山ほどある歯磨き粉にまた新しい一本を加えるべく、入り口のドアをくぐりました。

「お茶をいかが?」ドリスが、声をかけてくれました

私が一も二もなく応じたのは言うまでもありませんが、それより何より、その日初めて店の裏手の聖域に招かれ、そのうれしかったことといったら! 

恐る恐る足を踏み入れた私の頭を、けしの花がすっと撫でました。

部屋のすみでは、調剤用の小さなはかりが鈍い光を放ち、ありとあらゆる形の薬のビンがひしめいています。

不思議なものがぎっしり詰まった棚の、奇妙な名前が目を惹き、いつのまにか私は、熱心にラベルを読んでいました。

カリヨフ(クローブのオイル)、ジンジブ(ショウガ・・古くからさまざまな方法で使われ、愛されてきました)などなど、わくわくする名前がいっぱいです。

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p36-37)



なにかヴィッキーさん本来の世界がはじまる予感ですね。

やっぱり、人生ってすでに書かれた小説のように決まっているのではないか、と思われる一瞬もあります。

pari 記
       

 

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