「私もヒーリングしていただけますか」

「私もヒーリングしていただけますか」
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「11 大会」から                         ヴィッキー・ウォール
        現在のイクイリブリアムボトルは「魂の鏡」としての側面しか表には出していません。
表面に謳っている働きは、当人が意識していないその人の魂の願いを映し出す鏡であり、しかもボトルの内容液を乳化して身体の該当部分に塗布することによって、心身の内的バランスを整えるというものです。
しかし元々薬剤師の経験があり、キロボジスト(足の治療師)であったヴィッキーさんの許には、オーラソーマの関連でもなぜか肉体的な病を持つ相談者が多く訪れたようです。
そもそもオーラソーマが誕生したばかりのこの時点では、“魂の願い”というような観念そのものがまだ存在しなかったということなのでしょうね。
だから、ボトルを使うことによって気持ちが落ち着いたとか、楽になったとか、すっとした、というようなことと、肉体の病が癒やされることとの間に、それほど大きな違いはなかったのかもしれません。
ボトルが実際の効能で買い手の求めるものに応えるようになると、自然にその噂は広まって、ヴィッキーさんは一種の癒し手(ヒーラー)と目されるようになっていったようです。
——————————————————————– 次の訪問者は、またまったく別の問題を抱えていました。 お尻にゴルフボール大のひどいはれものを持っていたのです。 マーガレットが笑顔で見送る中、私はテントの裏に連れていかれ、そのはれものを「一目見て」ほしいと頼まれました。(盲目の私に、こんな言葉が気軽に使われるとは) けれども、その頃までには人々は、私が内なる視力を持っていることを十分に知っており、まさにそれを求めてやってきていました。 その腫瘍は、普通の医者が見れば、その大きさといい、感じといい、お尻の熱の持ち具合といい、すぐにでも切って膿を出して抗生物質を投与すべきもので、彼女自身具合が悪く、熱もあるようでした。 私はブルーとパープルマゼンタの「レスキュー」を手に取ると、そのはれものにていねいに塗り、ほんのしばらく、オイルを吸収させるため、手をその上に置きました。 それからオイルを彼女に手渡しました。
「後で、また塗ってくださいね」
ちゃんとした医者にかかるまでの応急処置に、と私は思い、お金は受け取りませんでした。 愛の贈り物として、プレゼントしたのです。
そして次の日、母親に起こった奇跡のお礼を言いに、女の子がやってきました
「できものは昨夜のうちに破れて、今はそれを洗ってきれいにして、  あなたのくれたヒーリングのオイルを塗っています。  母は本当に感謝していますって」
そしてさらに、こう言ったのです。
「私もヒーリングしていただけますか」
私は、またしてもこれは何事か、といぶかしみました。 これは、私がしていることなのか、それともオイルのせいなのか、どちらなのでしょう。 その時点では私にも分からなかったのですが、それ以後、いろんな人が他の人から「レスキュー」を買うようになり、それでもやはり奇跡は続いているのを見て、謎はきれいに解けたのです。
      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p90-91)
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ボトルがその癒やしの力を発揮したことはむろん間違いないでしょうが、おそらくヴィッキーさん自身も“癒し手(ヒーラー)”だったわけでしょうね。
まあ、ヴィッキーさんが言うとおり【いろんな人が他の人から「レスキュー」を買うようになり、それでもやはり奇跡は続いている】という事実はあるのでしょうが。
すこしずつ、オーラソーマが世の中に認知され始めるようです。
pari 記
       
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