「あなた、霊能者ね」

ヴィッキーさんの小学校時代のエピソードは終わって、時間は一挙に飛び、彼女はいよいよ世間の荒波のなかに飛び出していくことになります。

最近は日本もひところのバブルの時代を終えて、貧富の格差が拡大し、ちょっと以前なら考えられなかったような状況が現実に起こっています。

以前テレビで『ホームレス中学生』という映画を見たことがありますが、こんなことが現実に起こっているんだなぁ、と思ったものです。

『ホームレス中学生』は2008年10月時点で225万部を売り上げた田村裕(麒麟)さんによる自叙伝の映画化ですが、彼の場合はまったく前置きなしに突然身の上に降りかかった災難でした。

ヴィッキーさんの場合はそれとは違って自ら覚悟の上での家出ですが、とはいえ16歳のとき「ほとんど着のみ着のままで」家を出たわけですね。

一世紀前のロンドン、16歳の少女はたったひとりで、どんなふうに生き延びることができたんでしょう。

その時代のことをヴィッキーさんは多くは語りません。

ただ、そんな時代のあるとき、ここで述べられたようなエピソードがあったんでしょうね。

というか、なぜかこの場面は家出してから間もない時期のような気がしませんか?

ここで彼女は他の人から自分の異能を言い当てられるのです。


4 あなたは誰?

継母との運命的なぶつかり合いのあと、状況は悪化の一途をたどりました。

私は今や、兄や姉と同じ立場に置かれたわけですが、そこには違いがありました。
彼女にしてみれば、彼らは最初からよその子同然だったのに対し、私の状況はもっと深刻だったのです。

何しろ、本当の母親を演じていたつもりだったのが、突然くつがえされたのですから。

彼女の愛は、打って変わってどす黒い憎悪となり、それは年を追って激しさを増し、とうとう暴力にまで及ぶようになっていきました。

そのパターンはえんえんと続き、耐えられる限度を超えるようになり、それで私はとうとう、16歳のとき、ほとんど着のみ着のままで、家を出ることにしたのです

そんなある日のこと、かすかに秋の気配のする、暖かくてよく晴れた日で、辺りの木々や木の葉が、もやのなかできらめいていました。

私は公園のベンチに座り、そよ風に酔い、自然のなかに溶け込む幸せを味わい、すっかり自分の世界にひたり切っていたのですが、ふいに、すぐ近くで声がしました。


「ここに座ってもいいかしら」

その人は、だいたい40ぐらいの少しやつれた感じの女の人でした。

正直なところ、私はあまり邪魔をされたくない気分だったのですが、それでも、とりあえずとおりいっぺんのあいさつをすると、彼女は身を乗り出し、私の顔をじっと見つめ、突然こう言ったのです。

「あなた、霊能者ね」

私はぎょっとして、彼女の顔を見つめ返しました。

父と私は、やっかいなレッテルなしに、ありのままの自分たちを受け入れていました。

私たちに与えられたものは、招きもせず乞いもせず、自然に来たものなのです。

私は生まれてはじめて、ある疑問にぶつかりました。

「あなたは誰。いったい何者なの?」

私の一部は脅威を感じ、すぐにでも逃げ出そうとしていましたが、私は何とか必死で考えをまとめようとしました。

なにせその人は、私の顔を食い入るように見つめたままなのです。

けれども、ほとんど子どもとも言える他人を相手に、さすがに唐突すぎたと思ったのでしょう、それからこうつけ加えました。

「私の家はその通りの向こうなの。
 
お茶とケーキでもいかが」

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p30-31)



フーム、このさき話はどう展開するのでしょうね?

ヴィッキーさんの物語は現実の人生がまるで映画のなかの話のようですね。

pari 記

 

 

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