毎週土曜日のお父さんとの冒険は、幼いヴィッキーさんにとって最大の喜びでした。
それはある意味で、ヴィッキーさんの人生全体のなかでも、ひとつのハイライトだったと思います。
なかでもお父さんが立ち寄るおきまりの「床屋」と「クラブ」につづく最後のこの「ヴィクトリア・パーク」こそは、のちのヴィッキー・ウォール女史の全人生の根幹を形成した体験だったようです。
ヴィッキーさんはここで初めて、野の草花をその働きへの関心とともに見ることを学ぶのです。
この「ヴィクトリア・パーク」は、ヴィッキーさんがはじめて体験した生き物たちの輝きの世界であり、彼女にとっての最初の教室でもあったようです。
おそらくお父さんはヴィッキーさんに対して、上の他の子達にはなかった何かの天稟を感じたのではないでしょうか。
ゆっくりと丁寧に彼女をハーブの世界に誘い、導いていった様子が感じられます。
そしておそらく、ヴィッキーさんはお父さんの期待以上の反応と興味を示したのではないでしょうか。
この場面を回想するヴィッキーさんは本当に幸せそうですね。
そして、お次はヴィクトリア・パーク。
それは、テムズ川の北にある、ロンドンの広大な公園で、父は仕事の都合上、どうしてもこの周辺に住む必要があり、私もここが大好きでした。
この公園には、動くものや息をするもの何にでも興味を示す子供にとって、たくさんの楽しみがありました。
おとなしい鹿がエサ欲しさに近づいてきます。
父は、いつも必ず白いリネンの袋に、パン屑などをいっぱい詰めて持ってきていました。
父がそれぞれの名前で呼びかけると、鹿の方もなれた様子で近づいてきます。
それから、小屋の中にいるオウムに向かい、もったいぶって「おはよう」をいいます。
私は、どちらかというと、オウムは苦手でした。
鋭いくちばしと、しわがれた声が恐かったのです。
池の端まで行くと、いつも裸足の子供たちが目に入りました。
彼らは靴ひもを結わえて首から下げ、小さなジャムのビンと手作りの網を手に浅瀬に入り、虹色のトゲウオを追っているのです。
私は、決してその仲間入りをすることはできませんでした。
父は、ガラスの破片を素足で踏むことがいかに危険か、よくわきまえており、実際一度ならず、そうして怪我をした子どもに手を貸してやっていたのです。
それ以来、父は私に池に入ることを禁じました。
私は、ビンのなかで泳いでいる虹色の魚に見とれましたが、あるとき、ショックのためか、あるいは扱いが悪かったのか、一匹の魚がお腹を上にして死にかけているのを目にしてからは、本気で魚を捕まえたいとは思わなくなりました。
父は、動物と植物の世界に完全になじんでいました。
二人で歩いているとき、あちこちに豊富に生えている野草を指差しながら、私に聞いたものです。
「いったい、どれが、パパのかわいそうな手を治してくれると思う?」
もちろん、かわいそうな手などありはしないのですが、私はどの草が愛しい父の役に立ってくれるだろうかと、あちこちのハーブや花のまわりを、夢中で歩いてまわったものでした。
そんなふうにして彼は、私の内にすでにあった本能が花開く助けをしてくれたのです。
父がさまざまなハーブや花について説明してくれるたび、私の胸は躍りました。
その言葉の一つひとつには、植物への愛があり、彼はそれぞれの植物の癒しの効用を、その植物との実際の交わりの中から見出していました。
たとえ一本の草でさえも、むやみに摘むのは許されませんでした。
「必要があるとき以外は」
父は言ったものです。
「命を粗末にしてはいけない」
これは、私にとっては、まったくリアルなことでした。
あるとき、ブルーベルの茂みが無残に引き抜かれ、みずみずしさを失い、まるで戦場で無益に死んでいった人々のように折り重なって倒れ、道端に投げ捨てられている姿を目にしたときの悲しさといったら。
本当に、胸をかきむしられるような思いがしたものです。
こうした父との関わりこそ、私の幼い、満たされないハートの求めてやまぬものでした。
目に見えるもの、あるいは目に見えない生命力を、私はすべて父を通して学んだのです。
私たちはまるで、子供心に疑いもなく受け入れていた内なる知識の中で、 ひとつに結ばれているかのようでした。
そしてまた、私の父は、そのまた父に結びつき、そしてその父はまたその父に、といった具合に。
そんなふうに、永遠へと長い長い鎖が伸びているのが感じられるのです。
幼い私にはよく理解できない、奇妙な出来事がそれから幾度となく起こりました。
そのパターンは私の生涯を通じて続き、やがてその果てに、理解と認識とが開けていったのです。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p17-18)
「目に見えるもの、あるいは目に見えない生命力を、私はすべて父を通して学んだのです」……。
若くして生別した父親に対する思い入れとはいえ、ヴィッキーさんのお父さんへの思いは本当に特別なものを感じさせます。
お父さんの思い出こそが、彼女のその後の人生のなかでの最大の宝物だったのでしょう。
pari 記