花は自らの命を捧げることで神の一部となるのではないのでしょうか?

ヴィッキーさんは、幼いころから休日の散歩でお父さんから野の花や薬草の世界への手ほどきを受けていました。

ヴィッキーさんは7番目の子どもですから、たぶんお父さんは他の上の子たちにも同じような手ほどきをしたかもしれません。

でも、おそらく、ヴィッキーさんほどの強い興味を持って、お父さんからその知識を吸収していった子どもは他にはいなかったのではないでしょうか。

お父さんも、末の娘のヴィッキーさんが男だったら、という思いに駆られたことが何度もあったかもしれません。

でも、現実にはヴィッキーさんは女の子でしたから、どれほど高い適性を持っていても、ユダヤ教の伝統ではヴィッキーさんにカバラのマスターを引き継がせることはできません。

カバラの知識を娘に伝えることはできなくても、そのかわりにお父さんは自分が持てる植物の世界の知識を最大限まで娘に伝えたいと願ったのではないでしょうか。

ヴィッキーさんがお父さんから受け継いだ世界観では、現象世界はすべて神の創造の庭でした。

そこでは人間や動物たちが生きているだけでなく、植物の世界も鉱物の世界もすべてが意識を持っており、それぞれ独自の仕方で神の創造の息吹を呼吸しています。

そして、すべての神の被造物が、それぞれの仕方で光を求め、それぞれに意識の高みに登ろうとしているのでした。

なかでも植物の世界は、ヴィッキーさんがいちばん具体的な知識を持っている世界でした。

ヴィッキーさんは植物の世界のエッセンスとも言える美しい花々が大好きでした。

そんなヴィッキーさんには、美しい花たちもまた神の呼び声を聴いていて、ことあるときに喜んで自らの命を投げだし、自らを与える存在でありたいと願っていると感じられたのでした。

そしてヴィッキーさんには「花や果実や葉から抽出された色」は、人間の微細身のチャクラやそれと関連する肉体の部分と密接に関連していると直感されたのです。

では、ヴィッキーさん自身の言葉でこのあたりの機微を語っていただきましょう。


花たちも、私たちのように光を求め、高みに至ろうとしているのではないでしょうか。
彼らの存在のちょうど中心にもまた、神の呼び声が響いてはいないでしょうか。
彼らは喜んで自分の命を投げ出し、人生における三つの大事な節目、誕生と死と結婚を、愛で彩ってくれるのではないでしょうか。
彼らもまた私たちのように与える存在であり、ヒーリングや愛がこの世を治めるよう、彩りがこの世界にもたらされるよう、奮闘しているのです。
花の魂は、与えることにかけて右に出るものはなく、求めるものを得るという点で、霊的な法則に従っているのです。

以前には父がしていたこととはいえ、私が花たちに永遠の命を与えはじめたのは、愛する花やハーブに囲まれているとき、徐々に始まったことでした。
自分を他の存在の幸福やヒーリングに捧げることで、彼らは本当に愛の捧げ物となるのであり、地上でまず美しく花開き、それから永遠の生命を得るというのは、彼らに与えられた権利なのです。

愛の祭壇に身を捧げたその花が、いつの日にかその犠牲を捧げられた魂の一部となるということも、あり得ないことではないでしょう。
さらにいえば、花はみずからの命を与えることによって、神の一部となるのではないでしょうか。

花のエッセンスを作っているとき、私は、花の色がエッセンスの色に移ることもあれば、そうでないこともあるのに気づきました。
花や果実や葉から抽出された色は、チャクラやそれに関連する部位と、密接な関係があるのです。
例えば、ラベンダーは頭のチャクラ、ゴールデン・カレンデュラは皮膚、神経系統、胃という具合に。
私は、植物の色が人間のチャクラの色と深い関係を持つことを知るに至ったのです。


     ヴィッキー・ウォール『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』より

【自分を他の存在の幸福やヒーリングに捧げることで、彼らは本当に愛の捧げ物となるのであり、地上でまず美しく花開き、それから永遠の生命を得るというのは、彼らに与えられた権利なのです】

【愛の祭壇に身を捧げたその花が、いつの日にかその犠牲を捧げられた魂の一部となるということも、あり得ないことではないでしょう】

ヴィッキーさんはそんなふうに感じていらっしゃったのですね。

pari 記

 

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