ジャングルを超えて、ハートへ
「サミエル102」から マイク・ブース
オーラソーマ・フィロソフィーの根拠にあるのは“色彩の心理学”、つまり「色の言語」ですよね。
そしてその「色の言語」のテンプレートが「カラーローズ」という12色の色環です。
12色は円環状に配置されているので、それぞれの色には色環内に対極の色があることになります。
この色環内の二色の対極関係を「補色」と呼ぶことは、ご承知のとおりです。
つまり、12色を収める「カラーローズ」には6つの補色関係があるわけです。
これを6本の“補色軸”と呼んだりしたことを、ご記憶の方もいるかと思います。
「カラーローズ」は色彩同士の相対的位置関係を表現するテンプレートです。
そしてそのために、「カラーローズ」では色は円環状に配置されます。
ところで、色の配置に関しては、オーラソーマには「カラーローズ」のほかに「サトルアナトミー(オーラとチャクラ)」というのがあります。
これは言ってみれば、人間心理の成長過程に対応させてた色の配置であり、そのためにある意味でリニアな方向性をもっています。
この方向性で最初に来るのが、基底部にある「第一チャクラ」の「レッド」ですよね。
そして最後に来るのが、頭頂を抜けたところに仮想される「マジェンタ」です。
なので、オーラソーマでは「マジェンタ」は最後に現れる色、いわば(人間心理の)すべてを吸収・統合して、それを超えて行く色とも言えます。
そういう意味では、オーラソーマでは色にある種の階梯を当てはめているわけです。
そして、その階梯で最後に現れるのは「マジェンタ」です。
これを円環状のテンプレート「カラーローズ」に当てはめると、6つの補色関係にはある種の順番があることになるでしょう。
そしてその順番で最後に来るのは“マジェンタ:オリーブグリーン軸”であるはずです。
オーラソーマをよく知っている方は、このカラーコンビネーションに当たるボトルが存在することをご存知でしょう。
そうです、「B102 大天使 サミエル」です。
ある意味でとても特別のボトルであり、言い方によっては“究極的なボトル”の1つでもあるかもしれません。
今回ご紹介するのはこの「サミエル102」に関するマイク・ブース氏の考察です。
言い方によっては人間心理の最終的“歩留まり”とも言うべきボトルかもしれませんね。 では、マイクの「サミエル102」からその一部をご紹介しましょう。
——————————————————————– サミエルが、この段階でのタワー「塔」についての経験を明らかにしているのなら、三番目の段階は何を意味しているのでしょうか?
ヴァイオレット/ヴァイオレットを超えて、ペールグリーンの中で高次の意志と小さな意志が一緒になった地点を超えて、オリーブが伝えているのは、今私たちは、もっとも深い瞑想的な経験へ至るチャンスを手にしているということです。
O-live、生全体を経験する地点で、私たちは自分の役割を、人類という大きな家族とつなげて見つめてみましょう。 私たちは人類から隔てられていません。 この意識の大海に属しています。 その意識の大海をどう対処するかは、実際私たちにかかっています。 あなたは何に貢献していますか? 平和、優しさ、温もり、愛というエネルギー、あるいは何か他のものに貢献しているのでしょうか? サミエルは、私たちが何に対して貢献しているかを絶えず想い起こさせてくれるでしょう。 そして私たちは内側にある暴力を否定するのではなく、むしろそれを対処する方法を見出さなければなりません。 この時点で、すべての予言が実現される可能性があると思います。 ですからみなさんも私と同じようにそれに気づいていてください。
それは地球規模での大変動、津波、竜巻、ハリケーンといったものがすべて起こる可能性があるということです。 そうです、起こりえます。 地球は、もはやこの惑星上での無意識に耐えられずに、自らの変容のプロセスに向かおうとしています。 そして私たちはそれを後押しする可能性もあります。 私たちがより意識的にならなければ、彼女は、彼女の果たすべき手段で、地球を清め浄化するでしょう。 私たちに課せられた責任とは、自分自身の内側でさらに意識的になるということです。 地球は、私たちが行なっていることを即座に判断します。 ミカエルが私たちに示した二つの道筋のコミュニケーションは、サミエルにおいて強調されています。 そして、世界の中に瞑想への希望が広がることが伝えられています。 私たちはヨフィエルを通してふたたび、エデンの園へと戻れます。 その意味は、私たちが、ジャングルを超えて、ハートへ、自らの内側にあるエデンの園への道を見つけることです。 タワー「塔」のイメージは、落ちていくジャングルです。 私たちが人間として到達した地点はすべて間違っているけれど、エデンの園へと戻る可能性はあります。 あらゆることが、意識への可能性として、私たちのためにここに存在しています。 あらゆることが、礎として与えられています。 そしてそれを通して私たちは意識を広げることができます。 この機会をできるかぎり最善の方法で利用しますか? それとも、意識の革命の可能性とは無関係の他のことに時間を浪費しますか? 私たちには、人間としての形体での機会が与えられていて、人間の条件付けへ入っていこうとしていますが、それは、この時点でとても大切なことでしょう。 このすばらしい機会に、エデンの園へと戻ろうとしてみましょう。 瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へと入っていきましょう。 それには、否定的姿勢をとらないでください。 自分が内側へ向かわない場合、どうなるかを明晰に認識しましょう。 恐怖のパターン、「ではもし君がこれを行なわなければ、それは自ずと起こるだろう」というパターンを構築することではありません。 ただ、ものごとを在る がままの姿で見てみましょう。 この適切な時点において地球が私たちに語ってくれていることについて、あるがままの感覚を、私は感じています。 意識が進化しなければ、人類が覚醒に向かうよりむしろ、このまま絶えず物質的な奪い合いに取りつかれているなら、惑星地球への結果は、私たちには好ましくないものとなるでしょう。 目覚めへの警鐘が鳴り、タワー「塔」は揺さぶられてしまったからです。 私たちは、自分の行なうべきことに気づく必要があります。
『リビング・エナジー』Vol.5(p109) ——————————————————————–
なるほど。
マイクは「私たちが人間として到達した地点はすべて間違っている」とまで、断言していますね。
しかし同時に「けれど、エデンの園へと戻る可能性はあります」とも。
これまで試みたすべての努力が誤った方向への努力だった、と理解するのはなかなか難しいですよね。
でも、おそらくそれしか道は残されていないのでしょう。
pari 記
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