瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へ

瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へ

    「ティーチャーズアップデート サミエル」より  マイク・ブース

       

あなたは、生命世界全体が、じつはひとつの大きな意識の海なのだ、というような言葉を耳にしたことがありますか?

なんとなくそういう話は信じられる派ですか?

それともなんとなく信じられない派ですか?

それとも、そんなこと言うまでもない、当たり前じゃん、という派ですか?(*^_^*)

まあ、そういう常識というのは、時代によっても、地域によっても、人によってもそれぞれに違うのでしょうね。

現象世界はそういう個々人を、すべて生命表現として生みだしているわけですから、金子 みすゞさんの「みんな違って、みんないい」そのものなんでしょうね。

でももし、現象世界全体がひとつの交響曲のような大きな意識波動の海なのだとしたら、当然、大きな波もあれば、小さな波もあるでしょう。

そして、ときには大きな転換点を画する巨大な津波のような波もあリそうな気もします。

もし、現象世界全体がそういう大きな意識波動の海なのだとしたら、私たち人間はその海の表面の波の飛沫くらいの現象なのかもしれません。

個々の波のしぶきは、もちろん、そのしぶきの個人的思いとしては、自分で大いにがんばっているつもりでしょうね。

現に私たちはそういうつもりでがんばっていますから。

でも、考えてみれば、“波のしぶき”は波の表面に乗っている小さな水滴にすぎないことも明らかです。

その水滴が個人的に頑張って、さて何かを実現できるものなのかしら、という感じがしないでもありません。(^^;)

もしかしたら、そういうドラマ全体が、ある大きな集合意識が見ている夢の一場面なのではないか、というような連想さえ呼ぶようです。

ティーチャーズアップデートでマイク・ブース氏が語った「サミエル」のお話は、いろいろな連想を呼ぶ刺激的なお話ですね。

 



特にそれが「オリーブグリーン」「ディープマゼンタ」という色に関わってくるとなると、それは現象世界全体を呼びだした意図のひとつのサイクルの仕上げとも言えそうですね。

それは、創世記というひとつの物語の仕上げのタイミングなのかもしれません。

では、「ティーチャーズアップデート サミエル」から、「内側の意識を広げる道へ」というテーマについてマイク・ブース氏が語った言葉をご紹介しましょう。

       

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サミエルが、この段階でのタワー「塔」についての経験を明らかにしているのなら、三番目の段階は何を意味しているのでしょうか?  


ヴァイオレット/ヴァイオレットを超えて、ペールグリーンのなかで高次の意志と小さな意志が一緒になった地点を超えて、オリーブが伝えているのは、今、私たちは、もっとも深い瞑想的な経験へ至るチャンスを手にしているということです。

 


O-live、生全体を経験する地点で、私たちは自分の役割を、人類という大きな家族とつなげて見つめてみましょう。
私たちは人類から隔てられていません。
この意識の大海に属しています。
その意識の大海をどう対処するかは、実際私たちにかかっています。
あなたは何に貢献していますか?
平和、優しさ、温もり、愛というエネルギー、あるいは何か他のものに貢献しているのでしょうか?
サミエルは、私たちが何に対して貢献しているかを絶えず想い起こさせてくれるでしょう。
そして私たちは内側にある暴力を否定するのではなく、むしろそれに対処する方法を見出さなければなりません。
この時点で、すべての予言が実現される可能性があると思います。
ですからみなさんも私と同じようにそれに気づいていてください。

それは地球規模での大変動、津波、竜巻、ハリケーンといったものがすべて起こる可能性があるということです。
そうです、起こりえます。
地球は、もはやこの惑星上での無意識に耐えられずに、自らの変容のプロセスに向かおうとしています。
そして私たちはそれを後押しする可能性もあります。
私たちがより意識的にならなければ、彼女は、彼女の果たすべき手段で、地球を清め浄化するでしょう。
私たちに課せられた責任とは、自分自身の内側でさらに意識的になるということです。
地球は、私たちが行なっていることを即座に判断します。
ミカエルが私たちに示した二つの道筋のコミュニケーションは、サミエルにおいて強調されています。
そして、世界の中に瞑想への希望が広がることが伝えられています。
私たちはヨフィエルを通してふたたび、エデンの園へと戻れます。
その意味は、私たちが、ジャングルを超えて、ハートへ、自らの内側にあるエデンの園への道を見つけることです。


タワー「塔」のイメージは、落ちていくジャングルです。
私たちが人間として到達した地点はすべて間違っているけれど、エデンの園へと戻る可能性はあります。
あらゆることが、意識への可能性として、私たちのためにここに存在しています。
あらゆることが、礎として与えられています。
そしてそれを通して私たちは意識を広げることができます。
この機会をできるかぎり最善の方法で利用しますか?
それとも、意識の革命の可能性とは無関係の他のことに時間を浪費しますか?


私たちには、人間としての形体での機会が与えられていて、人間の条件付けへ入っていこうとしていますが、それは、この時点でとても大切なことでしょう。
このすばらしい機会に、エデンの園へと戻ろうとしてみましょう。
瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へと入っていきましょう。
それには、否定的姿勢をとらないでください。
自分が内側へ向かわない場合、どうなるかを明晰に認識しましょう。
恐怖のパターン、「ではもし君がこれを行なわなければ、それは自ずと起こるだろう」というパターンを構築することではありません。
ただ、ものごとを在るがままの姿で見てみましょう。


この適切な時点において地球が私たちに語ってくれていることについて、あるがままの感覚を、私は感じています。
意識が進化しなければ、人類が覚醒に向かうよりむしろ、このまま絶えず物質的な奪い合いに取りつかれているなら、惑星地球への結果は、私たちには好ましくないものとなるでしょう。
目覚めへの警鐘が鳴り、タワー「塔」は揺さぶられてしまったからです。
私たちは、自分の行なうべきことに気づく必要があります。

        
『リビング・エナジー』vol.5 (p109)
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【私たちは内側にある暴力を否定するのではなく、むしろそれに対処する方法を見出さなければなりません】

【私たちが人間として到達した地点はすべて間違っているけれど、エデンの園へと戻る可能性はあります】

面白いですね。

pari 記

 

 



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