黒マリアこそ“隠された愛”の対象

黒マリアこそ“隠された愛”の対象  
「クリスタルエイジのオーラソーマ」から   青山マリアいく子
        今も昔も、人間はなぜ自分がここにいるのかを理解することができません。
けれども人間の生活的知恵の範囲が膨大になってきた現代では、日本のような国では生存自体は社会の教育課程で与えられる知識の獲得でほぼ賄えるようになったと言えます。
そのような社会では、家族と人間社会に対応することが生きることのすべてだと言ってもいいでしょう。
しかし考えてみれば、そのような時代は人類史のなかではごく最近のことなのかもしれません。
生存するということが、人間社会に適応することであるよりは、自然のなかで生命を保つことを意味していた時代のほうが、はるかに長かったでしょうね。
そのような長大な人類史の大部分では、自分がなぜここにいるのかを知らない人間は、自分を産み育ててくれる大地を母なるものとして畏れ敬い、またその加護を願っただろうと思います。
さらにその時代を過ぎると、今度は母なる大地は「地球」というひとつの惑星になって、全宇宙というものが想像されるようになりました。
科学技術の発達に伴う宇宙に関する知見の拡大によって、その“創造者”として想像される「神」は大きくなっていくのか、それとも小さくなっていくのか……。
その現在もやはり、人間はなぜ自分がここにいるのかを理解することができないんですけどね。(^^;)
そして色々な真実を現象世界の過去と未来のなかに想像して、探求を続けていくしかないのかもしれませんね。
今回「クリスタル トランスミッション」のコースでもおなじみの青山マリアいく子さんの記事「クリスタルエイジのオーラソーマ」から、人類に深く根づいている「地母神信仰」に関わる部分をご紹介しましょう。
         ———————————————————— 地母神信仰
錬金術的勝利を収めた白マリアの前身となった黒マリアこそ“隠された愛”の対象でした。 黒マリアとは奇跡的治癒力を持つ聖母子像です。 西ヨーロッパに存在し、古いものは10 世紀以前にも遡ると言われます。
伝説によると、火山地帯の山岳地方で発見され、岩山の頂や洞窟、深い森の大木の洞、泉のほとりに奉られ、異端の隠された対象となっていました。 聖母に似つかわしくない黒い色の起源は、聖杯伝説によるものか、あるいは古代東方の黒い霊石信仰が擬人化した女神の偶像に由来するという説があります。 事実、キュベレ、アルテミス、ディアナなど生命の支配者である東方起源の地母神たちの元の姿は黒であったし、エジプトの女神イシスもしばしば黒で表現されたと言われます。
地母神は、穀物の豊穣、多産、病気の治癒や善き死を祈り、生とともに地下の国への導きが平安であるよう祈られました。 黒い色は母なる大地の色であり、生命が生みだされ、帰っていく死の世界の色――ここに“聖なる黒”の深い癒しがあり、信仰の拠り所とされました。
正統的キリスト教の教義が女性を追放し、異教の地母神信仰や、偶像崇拝を禁じました。 それゆえ黒マリアは、母性的なものにすがりたがる庶民や、奇跡や魔術を信じるものによって敬愛され、自然の懐に隠されて秘かに生き延びたのです。
キリスト教が偶像崇拝を禁じたのは、父権的教義の正当化のみならず、偶像が持つ魔力を信じ、恐れたからこそ禁固したのです。
「われわれの祖先は神々を作る術を発明した。
彼らはこうして作りだしたものに、自然の物質の中から取りだして調合した効能を加えて混ぜ合わせたが、魂を作ることはできなかったので、ダイモーンあるいは天使の霊を呼び降ろし、神聖なる秘儀を行って、それらを彼らの像の中に導き入れたのである。
こうしてこれらの像は、善や悪を行う力を持つにいたったのだ」            ヘルメス・トリスメギストス「アスクレピオス」より 

                 『リビング・エナジー』Vol.6(p18-19) ————————————————————
なるほど……。
しかし、「黒マリア」というのは「白マリア」に先立って存在したんですね。(@_@)
そう言えば以前、何かの映画でブラジルのカトリック教徒たちの「黒マリア」信仰の場面を見たことがありました。
そういう非常に古い時代からの地母神信仰の伝統に則ったものだったんですね。
pari 記

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