「もう用意ができたんじゃないの?」

「もう用意ができたんじゃないの?」  
「相川七瀬インタビュー 色を探して世界を旅する」から   
        ひところと比べると、現在は霊的世界もずいぶん世間の表面に現れてきましたね。
どうなんでしょう、たとえば日本などではスピリチュアルな話題は社会的公民権を得ていると言えると思いますか? (?_?)
いやー、どうかなぁ。(-_-)
もちろん、日常的にそういう世界に接している方々はたくさんいるでしょうけど、誰の前でも普通に話せる話題とまではなっていないかもしれませんね。
マスコミの世界で、日常的な普通の話題として取り上げられる環境にはなっていませんから。
民放テレビなど一部のマス媒体での露出はあるようですけど、NHKや新聞の全国紙で日常的話題として取り上げられることはないですよね。
“犯罪”は日常的話題の一部でも、目に見えない世界の摂理を語る“霊的世界”は、まだちょっと怪しい世界のほうに分類されるのでしょうか?
ちょっと変ですね。(^_-)
でも考えてみたら、ヴィッキーさんの時代のイギリスでは、霊的能力などは絶対に隠すべきことだったみたいですし、それからまだ百年も経っていないわけですよね。
今回ご登場いただくロックシンガーとして有名な相川七瀬さんも、小さい頃から霊感のある方だったそうです。
イギリスで知ったオーラソーマに惹かれていったのは、あまりにも地上的なミュージシャンの世界との一種のバランを取るためだったとか。
若いうちから有名になってしまった方は、ある意味で外国に行った時がいちばん楽になるようなことってあるんでしょうね。
今回は、ちょっと平均的ではない人生を歩んでいる方のオーラソーマとの関わり方をご紹介しましょう。
         ————————————————————– オーラソーマとの出会いと解放のなかで
江谷 オーラソーマを学ばれたのはずいぶん若いときに、しかもティーチャー3まで進まれていますね。
相川 でも、教える気はありませんでした。 そして、ティーチャー3まで行くつもりも、そんなヴィジョンもなかった。 ただ、進んでいく過程で、自分にとってのテーマがコースごとにあって、それが自分の中でクリアになったり、浄化されたりしていく中で、また次の段階を見たいという気持ちが重なって……そういう欲求ですね。
資格が欲しいとか、教えるためにというよりは、自分の中にあるものを見たいという欲求が、前に進ませたというか、モチベーションになったんです。 だから、ある意味、浄化のための、自分の中のなにかをリセットしたり、見つめなおす、すごくいい機会だったなと思います。
最後のフィジーのティーチャー3のコースで、自分の中のなにかが解放されたんです。 それは、プライドだったんだなと思います。 どんなプライドかと言うと、自分がミュージシャンで、人と違う仕事をしているという意識が、いっきに風に吹き飛ばされて、解放されていきました。
実は、フィジーに行く前に、セドナにも行っていたんです。 オーラソーマティーチャーのシャント・ドロシーとたまたま会っていたので、彼女に久しぶりにカウンセリングというか、コンサルテーションをしてもらったんです。 そのときに、
「あなたの中にあるスピリチュアルなものを、どうして隠すの? それを話すためにあなたはいるのに」
という言葉にすごくドキッとしたんです。
それが心に残ったままフィジーに行って、フィジーの6 日間の中で、シャントの言葉が強調されるような出来事が、私の中でたくさん起こりました。 自分の中の、強がっていた部分が溶けたところで、マイクが
「もう用意ができたんじゃないの? やればいいのに」
って言ってくれたんです。 自分でも、そうかもしれないな……と思いました。
私の中にある霊的なものというのは、オーラソーマをはじめてから出てきたものではなく、子どもの頃から存在していました。 でも、それを隠していくことは21世紀の生き方じゃないかもしれないなと思ったんです。 これからの時代は霊的なものや、精神的なもの全部が融合された世界が来るだろうし、それを歌以外のことで表現してもいいんじゃないかなと。 そういうメッセージを歌っていくことはもちろんできるけれど、言葉を通して伝えていくこともすてきなんじゃないかなって思った。 それで、なんとなくやってみようという気持ちになって、はじめたんです。

                 『リビング・エナジー』Vol.6(p10-11) ————————————————————–
なるほど。
若くして有名になってしまったミュージシャンが、そのことに特別のプライドを持つのは当然のことだろうと思います。
でも、そういうプライドもまた余計なものであり、人格の重荷になってしまうのでしょうね。
人生とはそういうドラマなのでしょうか。
そしてその苦しみと喜びに興味があるかぎりは、続いていかなければならないのかもしれませんね。
pari 記

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