意識と科学 その2

前回の続きです。
「心はどこにあるか?」ということについて、大きく分けて三つの考え方があります。
「唯物論」では、存在するのは脳だけで、その上にソフトウェアとしての精神が乗っていると考えます。 「物心二元論」は、肉体と心、まったく別のものが二つあるというデカルト的な考え方です。 「唯心論」では、心しか存在しない、すべては精神しかないのであって、物理的な実体というのは存在しないと考えます。
これに対して、神秘主義を研究していたイギリスの作家、オルダス・ハクスリーはさらに一歩進めて、心は個人のなかにはないと言います。
著作『永遠の哲学』のなかで、人間の意識というものは成長し、そして進化するものであり、その先にはひとつの宇宙があって、最終的に意識はそこに溶け込んでいく、と書かれています。
永遠の哲学―究極のリアリティ (mind books)/平河出版社 ¥2,100 Amazon.co.jp
つまり、私たちは自分自身が個々の存在だと思っているけれど、実は宇宙の一部であって、最後は全宇宙に溶け込んでいく存在だということになります。
つまり、「ひとつの宇宙がひとつの生命体として存在するのであって、心や意識はその個体に必ずしも固有のものではないかもしれない」となります。 これによれば、鉱物にも心があると考えられます。 
心理学者ユングは「集合無意識」を提唱し「人間の無意識は個に収まらず、全人類がつながっている。また、人間、それに動物も含めたあらゆる生き物は、共通した深層意識を持っている」という仮説を打ちだしています。 これは「無意識は、脳内の個別の現象ではない」ということを意味しているわけで、今の物理学では説明できないことです。
しかし、ユングのあとに出てきている人間性心理学、実存心理学、トランスパーソナル心理学などの最新の心理学では、この「深層心理の非局所性」を考慮に入れています。
ユングはまたシンクロニシティ(共時性)という現象にも着目しました。 目に見える物質的な世界の背後に、もうひとつ目に見えない秩序が存在し、その秩序が現実の出来事に共通して影響を及ぼしていると考えたのです。
イギリスの数理物理学者ロジャー・ペンローズは、このような意識の問題を科学的に解明するためには、アインシュタインの重力理論と量子力学が統一されなければならないと述べています。
哲学者のアービン・ラズロは、最新の量子物理学の理論、ゼロポイントフィールドや絶対真空の理論に着目して、あらゆる記憶は真空中に貯蔵されているという仮説を提唱しています。
この理論によると、古代インド哲学でいう宇宙創世記以来のあらゆる情報が蓄えられているという記録層、いわゆるアーカシックレコードという問題が説明でき、脳は単なる入出力装置で、電話のようなものと考えることができます。 つまり、記憶は脳のなかにはなく、自分だけでなく他人の知覚したものさえ、記憶として共有をしていて、私たちは時間も身体も超越した総体的な存在であるということになります。
このようなことを考えていくと、私たち人間は、理性や自意識が個々の肉体にとらわれていることで苦しみを作りだしているだけだと考えられます。
本当は、人間も宇宙の生命体の一部で、心を空にすると、全体としての宇宙と調和した行動が取れるけれども、理性が発達してエゴが肥大した結果、私たちはそのような行動が取れなくなっているのかもしれません。
だからこそ、私たちは瞑想のなかで生命の根源に戻り、その命の根源のなかで万物一体、天地同根であることを体得し、本来の自己を見いだすことが大切になってくるのだと思います。
そして、そのような意識に多くの人が目覚める必要があり、かつそのような意識に目覚めつつ時代であるような気がしています。
尚 記

Twitterボタン Twitterブログパーツ