道を求めるということ、これは人生の苦しみから始まります。
生きることがすべて思うに任せるなら、誰も道を求めたりはしないでしょうね。(^_-)
そもそもなぜ苦しみがあるような人生があるのか?、ともし誰かが問うたなら、その問に端的な応えを提供できる方はいないでしょう。
なぜなら、同じく生きることが苦しいといっても、それぞれの人がそれぞれの過程でそれぞれ固有の苦しみ方をしているわけで、求めている答えもじつは違うでしょうから。
ある人には最終的な答えと思われる解答も、別の人には何のことかわからないかもしれませんし、また別の人にはそれではまったく答えになっていないかもしれません。
しかし、そうは言っても、程度の差はあれ包括的な答えというものはあります。
人生の苦しみはどこからくるのか、そしてどうすればその苦しみから抜けだすことができるのか、今回ご紹介するラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士の解答は、実に包括的な解答です。
博士は「人生における大部分の苦しみ」の原因をどのあたりに見ているのでしょう。
いったい、どういうことをおっしゃっているのか伺ってみましょうか。
では、「カウンセリング 『内なる宝の扉への鍵』」から「自分は誰なのか?」の中から抜粋してご紹介します。
自分は誰なのか?
カウンセラーは「私が両親や社会から借用した人格の背後にいる、自分とは誰なのか?」という疑問の中にいるクライアントをサポートします。
クライアントが人格的側面の背後にあるものを発見したら、その人は本質(エッセンス)と呼べるものと接触したということです。
その本質(オーラソーマではそれを「魂のボトル」にも結びつけます)から、クライアントは自分の個性の非常に特有な要素と特色を発見することができます。
彼または彼女はすでにある花、あるいは今回の生涯で自分がなるべき花を発見することができます。
クライアントはこれを理解し、他の誰かになろうとするのを止めることができます。
バラが蓮の花になろうとはせず、バラであることを楽しんでいるのとまさに同じく、クライアントはあるがままの自分の覆いを取り、その自分を喜ぶことができるのです。
本質はいかなる意味でも人格や人格の変化によって影響されることはないので、カウンセリングはクライアントがこの心身における生の流れが表現しているものを受け入れ、抱擁し、楽しめるように助けることができます。
人生における大部分の苦しみは、私たちが自分の源泉から切り離され、分離し、切断されていると感じるために起こります。
苦しみが起こるのは、私たちが押されたり引っ張られたり、外側にある何かの圧力の下にいて、そこで自分が外的境遇の(主人ではなく)奴隷や犠牲者になっていると感じるからです。
この犠牲と苦しみは誤解です。
それは自分の外側にある対象と同一化しようと外側に向かって動くエネルギーのせいなのです。
カウンセリングは、クライアントがエネルギーの向きをグルリと変えて、すでにある自分を発見するように助けます。
不思議な現象とは、その瞬間何が体験されていたとしても、それが悲しみであれ、怒りであれ、失望であれ、無力感であれ、あるいは喜び、幸福、愛であれ、すべて自分が個であることの発見への扉になることです。
どんな感情や状態でもそれが拒否されることなく、それを別のものにしようとすることなく、それを変更しようとするいかなる期待もなく全面的に体験されたなら、その経験そのものが喜びとなります。
この瞬間にあるものを全面的に体験しようとする意志そのものの中で、ネガティブな、あるいは苦しい出来事が喜びに変容するのです。
『リビング・エナジー』Vol.4(p13-14)
人生の苦しみとは、「自分の外側にある対象と同一化しようと外側に向かって動くエネルギー」のせいで起こっていたのか……。(-_-)
そして、「それを変更しようとするいかなる期待もなく全面的に体験されたなら、その経験そのものが喜びとな」る……。
不思議なことですね……。
pari 記
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