サイキックリーディング

サイキックリーディング
「オーラソーマのカウンセラーとなるために」より  ワドゥダとのインタビュー
        あなたは動物を飼ったことがありますか?
最近は家で飼う動物は日本でも西洋風の「ペット」という飼い方になってきているみたいですね。
昔は、犬とか猫はなんとなく家の回りにいたものですが、このごろはもっとずっと相手を意識した濃密な関係になることが多いみたいで。
特に子供のいない家庭などでは、まさに子供の心配をするように保育園に連れて行ったり、必要なら動物病院や美容院にまで連れて行くらしくて。
犬などの場合は無条件で飼い主に愛を注いでくれるので、動物に癒やされるということはごく一般的なことです。
とはいえ動物は鳴き声は出しますが、言葉を話さないことは事実です。
ということは、動物との間に言語的なコミュニケーションではない、何らかの意思疎通があることは間違いありません。
その表現全体を見れば、それがどういう状態を現しているのか、どういう感情を表現しているのかはだいたいわかるものです。
この理解の仕方は仏教の言葉では「妙観察智(みょうかんざっち)」といいますが、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ではない感覚、つまり「直感」とか“第六感”と言われる感覚ですよね。
これはほんとうに誰もがもっている知覚機能です。
そしてこの知覚機能は対象に対して関心を持てば、自然にどんどん洗練されてしまう機能です。
たとえば、たまたま居合わせたお客さんには意味がわからなくても、ペットのある表現が主人にはツーカーでわかるようなものです。
これはその知覚機能を知らない人には、いわば“超能力”です。
でも持っている本人にはごく普通の能力でしょうね。
「サイキックリーディング」とはそういう知覚能力のことなのかもしれませんね。
では「ワドゥダとのインタビュー」から、「サイキックリーディング」について語った部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— <サイキックリーディング>
江谷: あなたはオーラソーマのボトルを読むまでもなく、直接その人のエネルギーを読んだりされますが、そのようなサイキックリーディングを学ぶことはできますか?
ワドゥダ: サイキック・リーディングは誰でも開発することができる能力です。 私たちはセドナでサイキック・リーディングを教えていますが、日本でもそうしたリーディングのコースがあると思います。 どんな人たちが教えているのかはっきりとは知りませんが、いろいろなコースが開催されていると思います。 すでにオーラソーマに関わっているあなたたちの多くにとって、ラハシャのコースはとても役立つと思います。 なぜなら彼はカウンセリングとサイキックな感受性について教えていますし、オーラソーマにも深く関わっているからです。 彼はカウンセリングとオーラソーマの橋渡しをしてくれる素晴らしい存在です。 たぶん日本にもこういったことをとても上手に教えられる人たちがいると思います。
本当にサイキック・リーディングを学びたいと思い、その才能が自分にあることを発見した人には、なぜか生が彼らを正しい方向に導いてくれるものです。 誰かを知っている誰かが、また誰かを知っている、そんなふうに出会うべき人たちを、彼らはただ見つけていき、サイキック・リーディングを学ぶために必要な場所とつながり始めます。
もしセドナでサイキック・リーディングを学びたければ、それは可能です。 私たちは徹底したプログラムで、長い時間をかけて教えています。 注意深く、一歩一歩、そしてコースはまずマインドとの非同一化を学ぶことから始まります。
でも、実際には人は誰もがサイキックなのです。 これは学ばなければならない特別なスキルではなく、少数の人だけが持って生まれたというものでもありません。 実際のところ、誰でもサイキックな能力を持っています。 それを認識できないのは、人々があまりにもマインドの動きに捕われているために、直感が働いてもそれにまったく気づかないためです。 それはたとえば正座をしている時、血液が足まで流れなくなっていることに立ち上がるまで気づかないようなものです。 立ってみて初めて、足がしびれていることに気づく、あるいは体に何か起こっているのに、あとになるまでそれに気づかないというようなことですね。
すべてのサインは出ているのに、考え事やおしゃべり、あるいは仕事をしていたり、それがどんなことであってもいいのですが、マインドが忙しく動いているので、感受性が低下してしまっているのです。
同じことがサイキックな感受性についても起こっています。 サイキックな感受性というのはとても微妙で、それに比べマインドの動きはとても騒がしいので、それが微妙な感受性をかき消してしまいます。 でもそれは確実に存在しています。 そして、そこに気づきがもたらされると、私たちはその感受性が本当に存在することを発見するのです。 より多くの気づきをそこに向けると、それは自らを開き、顕わしてくるようになります。 あなたが気づいていようといまいと、サイキックな感受性というものはすべての人の中にすでに備わっているのです。
        『リビング・エナジー』Vol.4(p10-11)
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(-_-;)
われわれが自分の直感に気づかないのは、【正座をしている時、血液が足まで流れなくなっていることに立ち上がるまで気づかないようなもの】という表現はじつに面白いですね。
マインドはそれほど騒々しいから、ついつい注意はその騒々しい方に引っ張られてしまうんですね。
気づいていようといまいと、誰もがサイキックな感受性をもっているのか……。
pari 記
       
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