宇宙そのものがマンダラ

宇宙そのものがマンダラ
「パーソナル・ジャーニー」から








ハリー・スティーブンス
        今回はスコットランドの西海岸でマンダラを描いていらっしゃる方の言葉をご紹介しましょう。
そう言えば、マイク・ブース氏もマンダラ芸術家だと聞いたことがあります。
マンダラと聞くと、われわれ日本人は、円形に配置された何個かの円の中に、それぞれ仏像が描かれたような図を思い浮かべますよね。
『ウィキペディア(Wikipedia)』で探してみると……、 ——————————————————————– 「マンダラ」という語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教のコスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指す。…… http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9 ——————————————————————– ……とあります。
なるほど。
日本のわれわれが想像するより、英語圏での解釈は包含が広いようですね。
上のページに「複数の要素が単に並列されているのではなく、ある法則や意味にしたがって配置されている……」とあります。
こう聞くと、オーラソーマの「カラーローズ」も、広義のマンダラに入るかもしれません。
別のところでは、 ——————————————————————– マンダラは悟りを求めて修行をする際の心の案内図の役をしたり、弟子が入門するときの儀式などに用いる道具あるいは舞台装置となったりします。 http://www.minpaku.ac.jp/special/200303/ ——————————————————————– とありました。
地球上の色々なところで、全体に憧れる気持ちが表現されているんでしょうね。
では、『リビング・エナジー』vol.1からハリー・スティーブンスさんの「パーソナル・ジャーニー」からその一部をご紹介します。
        ——————————————————————– 宇宙そのものがマンダラ
何年か前、私は何人かの友人と共にスコットランドの西海岸で暮らしていました。 私たちはいろいろなことをしていましたが、マンダラを描くこともそのひとつでした。 一枚のマンダラの裏に、友人がこんなことを書きました。
無限から無限へと 黄金の鷲が飛ぶ。
そしてさらに、
神の御光の中で輝く あなたは美しい、そして私も。
私はよくこの言葉を思い出します。 というのも、この言葉は深いレベルでのエネルギーや感情の質を伝えてくれるからです。 私が巡り合った2、3の言葉や一連の詩も、同じ心境にさせてくれます。 とくに悟りを得た人の言葉は、私たちの意識を自由へと高めてくれます。 それは、ときにはインドで「サット チット アナンド」といわれるもので、普通、意識と至福の状態にあること、と訳されます。
もうひとつ数年前に出会って決して忘れることができない言葉は、ラマナ・マハリシのものです。 彼は、
束縛と解放というのは、単に言葉上の概念にすぎない。  自己の他には、どんな現実もない。ただ真我だけが存在する
と言っています。
それが、マンダラとどんな関係があるのでしょうか。 マンダラは、拡張された瞑想的な意識状態で創作されるものであり、それについて何かを述べることは、無限性を伝えようとするものに限界を与える危険を犯すことにもなりかねません。 けれども、この記事の文脈の上でなら、それも許されるでしょう。 さらにひとつ、「私は誰か」(ジーン・クラインとの会話)という本から引用します。
「偉大な芸術は、何もいわない。それは何の目的も意図も持たない。  それはただ天からもたらされるもの。  目的を持たないことに、その意義がある
世界のどこででも、あなたはあれこれの形のマンダラに出会うでしょう。 マンダラは普遍的な芸術の形であるだけでなく、あらゆる自然のなかにも見られます。 宇宙そのものがマンダラだとさえ言えるかもしれません。 花や太陽、月、友人の目の虹彩を見てみれば、また、原子を何百倍にも拡大して見てみれば、そこに非常な美しさを持った円形のイメージ、マンダラを見いすことができるでしょう。
……
この数年、私はいくつものマンダラを描き、今だに描き続けています。 時にその衝動は超越へと向かい、「ピュア・ライト(純粋な光)」のようなマンダラとして、形を持たない抽象的なイメージとなります。…… これが私の「サダナ(道または修行)」なのです。
                 『リビング・エナジー』vol.1(p39-40) ——————————————————————–
なるほど……。(-_-)
しかし……覚者の言葉というものは……迫力があるものですねぇ。
すべてのことが……小さな……どうでもよいことに思われてきます……。
pari 記