自分に責任をとる
オーラソーマ・システムには、スピリチュアル情報の“総合窓口”のようなところがあります。
個別のイクイリブリアムボトルの解説ページを見るだけでも、 http://aura-soma.co.jp/products/equi/B000.html ・古代インドのヒンドゥー教由来と思われる「チャクラ」 ・古代中国の道教由来と思われる「易」 ・古代ユダヤ教のカバラの系統を伺わせる「タロット」 というような文字が踊っています。
少し立ち入った内容の説明となると……、 http://aura-soma.co.jp/intro/advance/ 「数秘学」「占星術」「ホメオパシー」「クリスタル」「タロット」「生命の木」と、まるでスピリチュアル情報のデパートみたいな感じです。
それこそ、スピリチュアル情報の“スパゲッティ・ジャンクション”と評されるかもしれません。
ですから「オーラソーマ」を少し齧(かじ)れば、嫌でもこれらの情報に触れることになります。
つまり「オーラソーマ」の学習者は、大変な“情報通”になってしまう可能性があるわけです。
「情報」には、持っているだけでひとつのパワーになってしまう、という側面があります。
でも、それは「オーラソーマ」の創始者ヴィッキーさんが教えようとしたことではありませんでした。
ヴィッキーさんは誰もが自分の中に智慧を内包していて、自分で自分の責任を取れることを伝えようとしたのでした。
けっして、他者に優越するために「オーラソーマ」を教えたわけではありません。
今回は、そのことに触れた「イギリス版編集者のことば」というクローディア・ブースの文章をご紹介します。
——————————————————————– 今回の編集者としての私の役割は、いろいろな状況のなかで、とてもむずかしいものでした。
「たいそうなこと」を述べ立てたたくさんの寄稿文が寄せられたことも、そのひとつです。 ヴィッキーは「自己愛」を説くのに一生を費やしました。 ですから、自分の価値を認め、自分を大事にしましょう。 彼女は「私たちは内なる教授(=直感)の声を聞くことができる」と教えました。 ですから、自分の声を聞きましょう。 彼女は「私たちは自分の責任をとることができる」と教えました。 ですから自分の意志はしっかり持ちましょう、と同時に柔軟でもいましょう。 でも、それより何より、彼女は私たちに「人に介入しない」ということを教えました。 自分を愛し、自分に責任をとることから出てくる第一の帰結は、他の人にも同じ事を許すということです。
私たちは出会う人すべてに自分を愛し、自分で責任をとる機会を与えることができるのです。
もし本当に私たちが自分を愛したならば、他の人の自由や自尊心を奪うことはできません。 というのも、愛の光を人の内に認めるからです(そして、それこそが唯一のありかたなのです)。
オーラソーマでは、私たちはすべて、あまりに「大げさなこと」を述べ立てる危険をもっています。 私たちは皆、すでに想像も及ばないほど偉大なのです。 ですからどうぞ、ただ、あるがままでいましょう。 本当に普通でいましょう。 私たちは本当に自分のままでいる勇気と信頼を持っているでしょうか。 そこには、普通でいることへの恐れがあるようです。 そうでありながら、私たちは、クライアントには自分の感じている平凡さを受け入れるように説いているのです。
カウンセリングで私たちは、あるがままの自分でいい、あなたは愛されているという体験を与えるのですが、しかし正直なところ、私たちはどれほど自分が賢いのか、示したがっているのではないでしょうか。 私たちは平凡であることを恐れています。 何かある声を耳にして、そのある存在が私に、「あなたにこう言うようにと言っていた」ということが言えたらなあ、と思っている人もいるのです。 これは、受け取る側にしてみれば、どんな感じがするでしょうか。 彼らにはたしかに、自分の直感に従ってメッセージの価値を認めるチャンスがあります。 もし彼らがそうできるようになったら、彼らはあなたのカウンセリングを受けるでしょうか。 彼らには3つの選択があります。
1)外からのメッセージを受け入れる。その場合、誰が誰の責任を取っているのか。
2)そのメッセージは拒否するが、黙っている。 その場合、自分の体験と拒絶を口にしないということで、彼らは自分を否定していることになる。
3)そのメッセージを拒否し、あなたにそう言う。 その場合、彼らはあなたに逆らうことになり、あなたは彼らを上に述べたヴィッキーの教えとは正反対の立場に置いたことになる・・・
問題は、このことはヴィッキーの教えという線から見て有効かということです。 この問題に答えるためには、この文の始めにちょっと戻ってみればいいのです。 明らかに答えはノーだと思います。 ある意味では、オーラソーマが神の力による閃きによって作られたものであり、マスターたちとワークするものだとあまりに語られてきたのは不運なことです。 しかしながら、カウンセリングの場面において、こういったことが勧められたことは決してありません。
……
クローディア・ブース (イギリス版 リヴィングエナジー編集者)
『リビング・エナジー』Vol.1(p23) ——————————————————————–
なるほど。
> これは、受け取る側にしてみれば、どんな感じがするでしょうか。
というのは、じつに的確な観点ですね。
自分がその受け取る側だったら、どんな感じがするか?
> 彼らにはたしかに、自分の直感に従ってメッセージの価値を認めるチャンスがあります。 > もし彼らがそうできるようになったら、彼らはあなたのカウンセリングを受けるでしょうか。
いやー、鋭いですねぇ。(@_@)
ほんとですね……。(^^;)
pari 記
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