直感は鳥の片方の翼であり、もう一方の翼は知識

直感は鳥の片方の翼であり、もう一方の翼は知識
「ヌラ・インタビュー」から   ヌラ・クラフト
       人生や物語のなかには固有の時節が刻み込まれています。
それらの時節は自然現象の季節にも似て、一瞬の真実に輝き、取り返しがたく哀切のなかに消えていきます。
それがドラマであり、作り物ではあっても、人の心を惹きつけてやまないのでしょうね。
というか、それが彩りであり現象なのだと思います。
すべての現れのなかには誕生のときから滅びの姿が埋めこまれているのでしょう。
それが運命のなかで展開されるとき、とどめがたく失われていく姿が美しいのだと思います。
赤ん坊の無心の動きのなかにも、また幼児の無邪気な喜びのなかにも、そして少年や少女の誇りのなかにも、醜さが芽生える思春期のなかにも、そして傲慢な青年のなかにも、円熟した壮年のなかにも、崩壊に向かう老年のなかにも、それぞれ取り返しがたく刻み込まれている哀切な時節が一瞬の輝きを放つのだと思います。
若さのなかでは激しい動きが好まれるように、滅びに向かう老年のなかでは穏やかさが好まれるのでしょう。
そのとき、無邪気な幼児の喜びがこの上ない懐かしさのなかで思い出されるのだと思います。
先日亡くなったヌラ・クラフトのオーラソーマとの出会いの文章からは、まるで幼児が美しい宝の箱を前にしたような純真な喜びが伝わってきます。
ほかに誰もいない部屋のなかで、ただひとり美しい宝箱を前にして遊ぶ少女とでもいった。
なにか童話にでも読みふけるかのような、そう、ある意味で、人生でいちばん美しい次節かもしれませんね。
ヌラさんはとても美しいオーラソーマとの出会い方をしたようです。
では、「ヌラ インタビュー」から、その辺りに触れた部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— オーラソーマと出会ったとき、私のハートはボトルたちの美しい色と香りに合わせて踊り始めました。 叡智の言葉の一つ一つそして虹のような人間としての体験が、この光の中にもたらされたかのように感じられました。 生に対する私の思いを映し出しているかのようなオーラソーマに恋をしたと言ったらいいでしょうか・・・。
「オーラソーマの学びのプロセス」
その頃インド全土を見渡しても、オーラソーマのバランスボトルはたった1セットしかありませんでした。 幸いなことに私は頻繁にボトルを訪れて、さまざまな色の持つ波動にチューニングを合わせ、それらがどのように私に触れ、影響を及ぼしているかを感じる機会を持つことが出来ました。 オーラソーマ・トレーニングの体系についてほとんど何も知らないまま、私は友人たちにリーディングを始めましたが、オーラソーマについての知識は無くても、リーディングの相手を映し出す言葉が自然に流れ出て来ました。 知識を得る前に、直感を通してオーラソーマと親しくなることが出来たことを、今でもとても良かったと思っています。
けれどヴィッキーの自叙伝を読んで、直感は鳥の片方の翼であり、もう一方の翼は知識であることを悟りました。 オーラソーマの知識はさまざまな人々の経験と理解が統合されたもので、そこから学び教えられることが数多くありました。 私は番号の付いたイクイリブリアムを白い紙の上に、金色の蓋とそれぞれの色を描き、直感で感じたこと、またコースや書物から得た知識などを、そのボトルの横に書き記すことを始めました。 これは私にはとても大切なものでしたので、金色のカバーの付いた高価な厚いフォルダーを買って、その中に色とりどりの宝石のようなボトルたちの絵を挟みました。 そうこうしているうちに、オーラソーマについてもっと詳しく知りたくてたまらなくなり、イギリスに行ってティーチャーになるためのコースに参加することにしました。
                  『リビング・エナジー』Vol.5(p110-111)

——————————————————————–
なるほど。
ボトルの絵と自分の直感と、そして学んだ知識を書いていく……。
楽しかっただろうなぁ、とその気分が伝わってきますね。
そうやって「オーラソーマについてもっと詳しく知りたくてたまらなく」なっていったのですね。
pari 記

Twitterボタン Twitterブログパーツ