「表面反射」と「内側の表現」 ドミニク・ヨーマン
ドミニク・ヨーマンの「オーラソーマ 光と身体」からの抜粋
森羅万象は、視覚的には色の氾濫として顕現しています。
もちろん、そのような“現れ”を【見ている者】がいるからこそ、現象世界は現れることができるわけですが。(^_-)
その【見ている者】が誰であるかという話は、まあしばらく措いておきましょう。^^;
とにかく、通常物理次元の世界はすべて、物体が光を浴びて、その浴びた光を反射することによって認知されているわけですよね。
そして通常われわれが見ているのは、その物体の“表面”で反射された光なのだという、ドミニクの言及はとても面白いです。
そして、「オーラソーマ」のイクイリブリアムでわれわれが見ているのは、それとは違って、“物を透過して”いる“内側で輝く”光なのだと。
それが、どのような違いを暗示しているかはともかく、とても納得させられる話だと思いませんか。
では、前回に続いてドミニク・ヨーマンの「オーラソーマ 光と身体」から、今回はその部分をご紹介しましょ。
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オーラソーマ 光と身体から抜粋
…… 私たちが生きる物質世界において、光と色がどのように相互に関連しているかをさらに調べてみましょう。
世界は色のついた物体で満ちています。 今日、私たちが利用する技術の魔法によって、色は主として表面的になっていて、消費者が選択する物の実体と構造に付随するものになっています。
しかし自然界、つまり私たちがその一部としてとどまる現実の世界において、色は個々の物の本質への基本的な手がかりを与えるものとして見ることができます。 色は物体の持つギフトや質を知らせる暗号(記号)として機能するのです。 たとえばラベンダーとアメジストのバイオレットはどちらも鎮める質を示しています。 これはシグニチャー(署名。記号)の科学と呼ばれます。 その秘密と知識は静かに時代を通じて受け継がれています。
オーラソーマの色は表面的なものではなく、全体のシステムへの鍵となるものです。 その空のボトルがオイルと水の層を受け取るまでは、他のどの空のボトルとも区別はできません。 イクイリブリアムにおいては、色がその違いを作ります(時には明るく、時には微妙に、いつも美しく)。
しかし、イクイリブリアムの色について特に印象を与えるのは、通る光によって、色が輝くということです。 物資界のすべての物に色がついているけれど、それは、たいてい私たちが見る物の外側の表面に、光が反射しているからです。 体は物体であり、光は物体からはね返ります。 光と物体には違いがあり、分離しています。 しかし、イクイリブリアムのように透明なものにおいては、この区別が壊れ始めます。
ここでは光は物体を通して輝くことができます。 色は表面ではなく、光が通過することで輝く内側の表現になります。 私たちは輝く物の内なる色を見ることは少ないのです。 しかし、イクイリブリアムの透明な美しさによって、それぞれのボトルの内なる質が実際に現れます。 『リビング・エナジー』Vol.4(p78) ——————————————————————–
なるほど……。
通常の物体の“表面反射”として観察される光の場合は、「物体」と「光」は分離している、とドミニクは言っているようです。
それに対して、「イクイリブリアムのように透明なものにおいては、この区別が壊れ始 め」る、と。
そうか……、透明な物体の場合は、われわれは「内側の表現」を見ているわけか……。
pari 記
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