燃え尽きないためにも

燃え尽きないためにも  
書評『サトルボディヒーリング』より    高落 伸
        “人間は一人ひとり感じ方や考え方が違うものだ”というのは、ある程度の年令になると誰もが知っていることです。
聞いた話ですが、ある覚者は子供の頃から《万物が一体》であることを感覚的事実として知っていて、かなりの年令になるまで誰もが自分と同じに感じているものと思っていたそうです。
他の人たちはそうではないのだと知って、非常に驚いたという話を聞いたことがあります。
つまり、人間なら当然かかっているはずの「個別の自己」という“聖なる催眠”が、彼にはかかっていなかったわけです。
そういうこともあるのですねぇ。(-_-;)
まあそれは極端な場合でしょうが、それほど極端ではないにしても、個々人の考え方や感じ方は、その人の知覚体験にさえ影響を及ぼし、同じ場にいながらそれぞれまったく別の体験をしているというようなことは、よくあることでしょう。
例えばの話、同じ映画を見ながら、男性と女性ではまったく別の対象に焦点を合わせているかもしれません。(^_-)
両親が違えば継承した遺伝子は異なるわけですし、生まれた家庭が違えば当然条件づけも異なります。
ましてや、生国が違えば社会常識も違うので、それらの違いは感覚的知覚にも大きな違いをもたらしているでしょうね。
個々の人間はそれぞれ感覚体験自体も微妙に違っているでしょうし、またその感覚体験からの影響の受け方も違うのでしょう。
今回ご紹介するのは、『サトルボディ・ヒーリング』という本に対する心理カウンセラーの高落 伸(たかむらしん)さんの書評です。
カウンセラーとかヒーラーの方たちには、むろん、クライアントの状態に対する理解が欠かせないでしょうね。
意識状態を理解するとは、その意識波動を分かち合うことでもあります。
こういう職業の方たちにはクライアントの状態を“かぶる”ということが、よくあることだと聞きます。
でも、いつもクライアントの病的状態にまで“感染”していたのでは、身がもたないことはよくわかりますよね。
高落 伸さんの書評の言葉は、このあたりの状況にいつも身を晒している方ならではの感想なのでしょうね。
では高落さんの書評から、そのあたりの機微に関連する部分をご紹介しましょう。
       ——————————————————————– ● 燃え尽きないためにも
対人援助のお仕事をされている方たちはもちろんのこと、そうでない方たちもまた、「人間スポンジ」のように他の方たちのフィーリングを受け取ってしまい、ある種のエネルギー的燃えつき症候群のようになって、疲弊してしまうという体験が、多かれ少なかれあると思います。
これは、第2 身体が持っている「諸刃の剣」的な能力によるものなのですが、その解決策について、この本の中では次のように書かれています。
「逆説的に聞こえますが、他者のフィーリングを吸収する方にとっての解決策は、第2 身体をスピリチュアルハートセンターと結びつけながら、抵抗せずに、それらが第2 身体に入ってくるのを許すことです」
「ハートは受容の空間を作りだします。それが……外側と内側からの……あらゆるフィーリングを第2 身体に『張りつく』ことなく通過させるか、あるいはそれらに変容をもたらします」
「一方、入ってくるバイブに抵抗しようと努力すると、自分自身の第2 身体の反応を抑えようとする努力がそれに加わって、動揺と軋轢を生みだし、否定的感情を引き起こすことになるのです」と。
これらの記述を読ませていただいたとき、「やっぱりそうなんだ!」「それでよかったんだ!」と、これまで自分自身が体験的に理解し、実行してきた方法が、明確な言葉で裏打ちされたように感じて、とても嬉しくホッとしたのを、今でも覚えております。
この本は、このような洞察の宝庫として、ただ読むだけで癒されるような力に満ちており、なによりも私たちの気づきを喚起し、それを育んでくれるだけの力を秘めています。
私にとって、ご縁のある方たちに紹介したくなる「良書リスト」のトップ3 にその名を連ねていると言っても過言ではありません。
                 『リビング・エナジー』Vol.6(p111) ——————————————————————–
なるほど。
ここで語られている「第2 身体をスピリチュアルハートセンターと結びつけながら、抵抗せずに、それらが第2 身体に入ってくるのを許す」とい言葉の、具体的な意味はわかりません。
でも、それがどういうことを意味しているかは、理解できるような気がします。
他者の「理解」や「感情」や「意見」に耳を傾けるとき、それを“自分”という「人間の器」で受け容れるのは限界がありますよ、ということですよね。
それはもう、そのとおりだろうと、思います。
人は誰もが“自分がつくり出した「枠」”のなかで苦しむわけですものね。
pari 記

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