色彩心理の図式「カラーローズ」でのブルーの位置
<神さま>は、自分という<全体>がどんな具体的な内容なのかを、ちょっと具体的に“味わって(=経験して)”みたかったのかもしれませんね。
そのためには、<神さま>は<自分>を“分裂”させてみるより他になかったのかも……。
なにしろ、ただ存在すると言うだけで対象として見るものがなければ、すべてはただだだっ広い暗闇の空間にしろ、あるいは透明の光の空間にしろ、それだけでは自分を存在を確認できなかったでしょうから。
つまり、<光>は“分光”しないことには<自分>を嘆賞できなかった、というわけです。
最初にあるのは、<神さま>の“つもり”です。
<神さま>の“青写真”です。「ブループリント」。
そこから、<全体>が展開するんです。
<神さま>が「光あれ」と言ったとき、最初に“物理次元”に降ろされたのが、どんな「色」かは、もうわかましたよね。(^_-)
<光>そのものである<神>が、みずからのすべての潜在可能性を体験しようとしたとき、どうしても、すべての<すべて>である<自ら>を分裂させてみなければなりませんでした。
そして<神>がすべての<すべて>を“分裂”させたとき、分裂したそれぞれの“かけら”が、すべての<すべて>によって“裏打ち”されていることを忘れる可能性があることを<神さま>は、もちろん、知っていました。
分裂した“かけら”は、忘れるからこそ本気で“何者か”であることができ、“何者か”であることを体験できる、とも言えるわけですから。
だから、<神さま>が“物理次元”という相対二元の世界に<自ら>を“分裂”させようとしたとき、まず、用意して置かなくてはならなかったのは、すべての<すべて>への“帰り道”でした。
<神さま>は、まず<自ら>に<自ら>への“帰還”を用意しておきました。
それが、<神さま>の“つもり”でした。
だから、最初に物理次元に分光したのは<神>の「青写真」です。
つまり……、言い換えると、<神>の“独存”です。
アローンネス。
それは、他者が存在しないがゆえの、揺らぎようのない“独存”、揺らぎようのない“平安”、その“涼しさ”です。
どこまでもどこまでも、すべてが<自分>であることを知っているその状態、つまりは<神>の“視界”、やがて誕生するはずのすべての“夢”を、あらかじめ優しく抱擁している<神>の“慈愛”です。
<神>は<自ら>を分光させるについて、まず、あらゆる潜在可能性に対する“視界”と、そこへの“帰還”の可能性を、「青写真」として物理次元に降ろしたのです。
<神さま>が「光あれ」と言ったとき、最初に“物理次元”に降ろされたのは、すべての<すべて>である<神>のあらゆる属性の中でも<神>の“独存”を表現する「ブルー(青)」でした。
それを天地創造の“時間の切り替わり目”に、350度で森羅万象を表す時計の文字盤の上に、シンデレラの物語に合わせて、“午前0時”の位置に投光したのです。(^_-)
森羅万象を表すオーラソーマの「カラーローズ」には、
時計の文字盤の0時の位置に、ブルーのライト
が投光されました。
(ライトの大きさは文字盤と同じ大きさの円です。)
http://aura-soma.co.jp/intro/color_language/
さて、かくして、まずあらゆる潜在可能性と“帰還”を思い出す「よすが」を降ろしてから、<神>はダイナミックに、一挙に、物理次元を展開します。
第一の光“ブルーレイ”に次いで、<神>はどんな色を分光したでしょう。
このコーナーは、以前[箸休め]として書いた内容を微修正しています。
オーラソーマとは一応“関係ない”という「免責条項」をお忘れなくね。(^^;)
pari 記