自分が決めたとおりの生まれ方をさせて
「オーラソーマと出産」より 古賀直子
何事も場所や時代によって常識は変わるものでしょうが、胎児や新生児に対する世の中の前提とか常識も昔とはずいぶん違ってきているようです。
ひと昔前ならかなり珍しいものと受け止められていた「胎教」といった言葉も、いまでは誰もが知っているごく普通の言葉になりつつあるようです。
「胎教」という言葉が聞かれはじめたころは、あたかも胎児のころから教育をはじめるといった教育ママ的なニュアンスが感じられたものです。
でも今では、むしろ母親が胎児に話しかけるとか、胎児とコミュニケーションを取ろうとするといった、なんとなく当然のこととして胎児を人間扱いする態度が常識になりつつあるのかなと感じられます。
そんな態度がどれくらいの比率で広がっているのかは知りませんが、こういう趨勢はいったん広がりはじめると拡大は速いのでしょうね。
どうやら胎児や新生児は、従来考えられてきたよりずっと周囲の状況を理解しているらしい、といった事実が認知されはじめると、その認識が臨界点を超えるまで、そんなに時間はかからないのかもしれません。
ちょっとググってみると、どうも胎児が母親の言葉を理解しているとしか思えない、といった事例が少なからず出てきます。
時代は確実に変化しているわけですね。(^^;)
助産師の古賀直子さんたちの言葉も、そう思って読めば、けっして奇異なことではないのでしょう。
では「オーラソーマと出産」から、古賀さんと藤本さんの言葉をご紹介しましょう。
——————————————————————
古賀:
その赤ちゃんは、胎内で元気に生きてはいるんだけれど、でも反応がなかったんです。
あまり反応がないから
「私はこの子とはやらないのかなぁ、反応がないなぁ」
と思っていて、それが途中でオーラソーマのマッサージに切り替えてからは、反応がないというよりも、むしろ“諦めている”という感じが伝わってきたんですね・・・。
赤ちゃんの心を感じ取るとね
「いつだって大人たちは“いいよ、いいよ、いつでもいいよ、
どこでもいいよ”って口では言うよ、
でもどうせ僕の思いじゃなくて
大人の都合どおりのやり方になるに決まってら」みたいな・・・。
私はときどきライヤ(竪琴)を弾きながら歌を歌っている友人の藤本さんにも立ち会っていただいて、胎児を励ます即興の歌を歌ってもらったりするんですけど、出産の少し前に藤本さんに歌っていただいたんです・・・。
藤本:
私も古賀さんと一緒にあちこち行かせていただいてるんですが、するとやっぱり赤ちゃんが生まれる直前に葛藤している普遍的なパターンがいくつか現れてくるんですね。
その子が生まれるときは
「せかさないで、せかさないで、僕は僕の人生を、
僕の思ったとおりにやっていきたいの。
僕が決めた一番いいときに生まれたいし、
自分が決めたとおりの生まれ方をどうかさせてくださいな」
って、お願いというよりも、すごく切実な感じが伝わってきたんです。
「お母さんの期待がものすごく大きくて、
自分の鋳型に無理矢理はめ込もうとしているから、
それが辛くて僕はいつまでたっても生まれられません」
という感じだったので、
「出ておいで~、出ておいで~、あなたの気持ちは分かっているから、
かならずそれを受け止めるから、迷わなくてもいいよ、
出ておいで~、もう大丈夫」
ってずっと励ましてたんですね。
古賀:
そしたら、そのお母さんのお腹がびっくりするくらいグーっと張ってきて、こんなに反応したのは初めてということで、そのお母さん「この子やる気あるんだ」と思ったみたいね。
それまで「いつでもいいよ」と言いながら、お母さんの心のなかでは
「できるだけ早く生まれてね、クリスマスケーキ焼きたいんだから」とか、
「どっちでもいいんだよ、でも、できたら女の子がいいな。お姉ちゃんは小っちゃかったから、あなただってきっとそうだよね、まさかほんとうにでかいんじゃないでしょうね」といった具合だったのが、
「ごめんね、いつでもいいと言いながら、
“早く、早く”と思ってたわ・・・ほんとうにいつでもいいし、どんな子でもいいよ」
って思ったみたいで、そうしたらその夜にやってきたんです。
『リビング・エナジー』Vol.5(p93)
——————————————————————
【「私はこの子とはやらないのかなぁ、反応がないなぁ」】・・・。
さすがは助産師さん、胎児と自分を完全に同格と認識している態度が言葉遣いにまで現れています。
どうやらこの子と古賀さんの出産セッションは成立したようですね。(*^_^*)
よかったよかった。
pari 記