書評「永遠の子供」 ジョン・コッシュ
人間の身体はいわばバイオ・コンピュータとも言えるでしょうか。
物理的な意味では鉱物的なものではなく動物に属するわけですが、でも、ある意味では機械だと思います。
ただ、人間が作れるAI(人工知能)的なロボットとは違って、そこにはクオリア(感覚質)があります。
いわゆる、私たちが言う内面です。
たとえば、いちばん単純で誰でもわかる内面は“痛み”です。
人間は自分が“痛み”というクオリア(感覚質)を味わったことがあるから、だから他人や動物が苦痛を感じているのを見るとその意味がわかります。
最近AI(人工知能)の急激な発達が話題になることが多くなりましたが、でも、人間が作るロボットは今のところ、このクオリア(感覚質)を持つことはとうてい考えられない段階です。
というか、それは今人間が問題にしているようなAI(人工知能)やロボット工学の発達の延長上にあることでもないだろうと思います。
しかし、それはそれとして、人間もまた一種の機械だということはできそうです。
繁殖という再創造能力を持った機械ですから、通常「機械」という言葉から想像されるイメージとはレベルの異なるものではありますが。
でも、機械なので、故障もすれば、不調になることもあります。
そしてごDNA上の欠損といえるのかどうか、いわゆる先天性の障害者がある統計的な比率で存在することもご存知だと思います。
シュタイナーはどこかで、人間の場合の一人ひとりの性格の違いというのは、他の動物なら同一種の個体差の違いではなく、むしろ別種の動物の違いなのだ、と言っていたと思います。
ですから、先天性の障害者と言っても、これまた一人ひとりがきわめてユニークな存在であるようです。
今回取り上げられているのは、ある自閉症児の物語です。
当人が感じている内面というのは、表現されなければ他人にはわからないところがありますね。
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書評「永遠の子供」
これはアドリアナという名前の自閉症児の物語である。
自閉症のため、外部とのコミュニケーションができず、自分のなかに“封じ込められた”少女の内に秘められた知性と才能の開花が描かれている。
アドリアナの弟妹たちがどんどん大きくなって彼女を追い越していくことに心を痛めていた母クリスティが、心を込めて語っている。
アドリアナは理解力や行動、話し方、動きなどすべての発達が遅れているように見え、自閉症特有の激しいかんしゃくを起こす子どもだった。
アドリアナが9歳のとき、「ファシリティテッド・コミュニケーション」という簡単なワープロを使ってコミュニケーションを行う方法が考え出された。
ヘルパーに手と腕を支えられながら子どもが文字を選びながら言葉にしていく。
アドリアナの場合、この手段がまったく予期せぬ利器となったのである。
母クリスティが驚いたことには、彼女の娘は非常に聡明で、すでに文字を読むことができ、生まれながらに数学がよくできるのだった。
アドリアナは人の感情を敏感に感じ取り、やがて母親とテレパシーによって意志の疎通ができるようになった。
さらに、自ら進んで母親の胎内にいたときの様子や、自閉症で生まれることを自分で決めたこと、いくつもの過去生、彼女がコンタクトしている魂のガイドの存在などについても詳しく話し始めたのである。
アドリアナに会い、この本の序説も書いているジョーン・ポリセンコは、自閉症児たちはいったんコミュニケーションの術を得ると、言語、数学、ビジュアルな記憶などにおいて驚くべき才能を現すことを確認している。
(自閉症児たちは障害を持っているのではなく、一般の人々とは違った形の才能があるのです)
これらの事実が私たちに思い起こさせることは、明らかに回復不能なまでに脳に障害を受けた人たちが特別な器具なしではまったくコミュニケーションができないにも関わらず、なお確かな意識を保っているという最近の報告書である。
アドリアナは世界に向けた愛と理解のメッセージを携えているとクリスティは感じている。
そしてクリスティ自身は自閉症児とその家族を助けることに彼女のエネルギーを注いでいる。
本書はこの愛と理解というメッセージの中心をなすものである。
『リビング・エナジー』Vol.3(p59)
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【自閉症児たちは障害を持っているのではなく、一般の人々とは違った形の才能があるのです】……。
身近に知っている方は、そう言わざるをえないような体験をさせられるのでしょうね。
pari 記