痛みのなかにはすばらしい贈り物があります

私たちの人生には喜びも悲しみも、また楽しみも苦しみもあります。

あるいは、少なくとも私たちはそう信じています。

そしてなんとなく、個々の現象のなかに、そういった喜びや悲しみ、楽しみや苦しみがあるように感じてしまうものです。

でも考えればすぐわかりますが、実際は個々の現象自体に喜びとか悲しみ、楽しみとか苦しみといった属性が内在しているわけではなく、その個々の現象に関わった人の解釈のなかで喜怒哀楽が発現しているだけですよね。

だから体験した当事者の立場しだいで、ある人には喜びとして体験された同じ事象が、別の当事者には逆に悲しさや悔しさとして体験されることだってあるはずです。

しかも、誰もが肉体的に異なるDNAを持ち、異なる成長過程(条件づけ)を経ているのですから、同じひとつの事象に関わったとしても、感覚的にも、感情的にも、解釈的にもまったく異なる体験をしているでしょうね。

人生というのは、まるでドラマの文脈の生成過程みたいなものだと思いませんか?(*^_^*)

実際は、生きているのは全体で、全体から見れば変化はあってもドラマはありません。
だって全体というのはひとつの生命体で、そのなかに分離している生命体などないのですから。(全体のなかで呼吸しなかったら一瞬だって生きられません)

だから、「個人」という幻想は、ひとつの生命体の個々の細胞が自前で生きていると想像するのと同じくらいバカげたことなんです。(^_-)

でも、人生体験というドラマを体験するには、その個人という分離幻想が絶対に必要です。
そして、それを可能にしているのが、肉体という見かけと思考の解釈なのです。

思考は、体験する個々の事象が自分(物語)を破壊しないように、じつに見事な早業で現在起こっている事象の意味づけを提供してくれます。

その意味では思考は非常に優秀な執事とも言えます。
でも、この執事の判断をすべて鵜呑みにしていると、じつは非常に困ったことになります。

というのは、この執事はもともとサバイバル関連情報の調査分析官あがりなので、基本的にはつねに懸念材料しか報告しないからです。(*^_^*)

とても心配性なのに同時に自惚れが強くて、自分のこれまでの報告判断と矛盾すれば肉体のさまざまな部署から上がってくる報告でも勝手に無視して遮断してしまいます。

そのため、この思考の言うことだけを聞いていると、肉体の多くの細胞に蓄えられている情報を知ることができず、実際の事実とは非常に異なる誤解に基づく自己像を維持してしまうことになるのです。

ところで、じつは人間にはこの思考とは比較にならぬほど大きな理解力と包容力を持つ働きが秘蔵されています。
ただこちらは思考と違ってとても控え目で、自らその能力をひけらかすことがないため、どうかするとその存在が気づかれず、その固有の能力が開発されぬまま一生がすぎてしまう場合さえあると言われているようです。

霊的探求者たちに「ハート」と呼ばれるこの中枢の働きを探求し、「ハート瞑想」と呼ばれる瞑想技法を共同開発したリーラ・ラブガーデンさんが、この「ハート」の働きが人生をどのように変容するのかを語っていらっしゃいます。

では「リーラ・ラブガーデン インタビュー」から、そのあたりの機微に触れた部分をご紹介しましょう。


ハートはどのように生活を変容させるのでしょうか?

初めのうちは、ハート瞑想のテクニックを非常にシンプルで、簡単にできるものにしておくことが大切です。

ハート瞑想は、初めは心地のよい感覚を与えてくれます。
しかし、最初からハートの持つ変容能力を経験できるわけではありません。
この心地よく感じられる時期があるというのは、とても大切なのです。

それが基礎になり、ハートを信頼できるようになっていきます。
信頼すると、ハートは人生を変容させるのに必要な強さを持つことができ、生活の改善に役立つようになります。

変容は、まず苦しく辛いフィーリングや、ネガティブな思考パターンに対して、それらを拒否したり、抑圧するのではなく、ただフィーリングや思考とともにいることで起こっていきます。

ハートは、変容が起こるのに必要なスペースを与えてくれるのです。

誰でも辛い感覚やネガティブなものから逃げようとする傾向があります。

ハートの働きは、まさにその正反対です。

辛いフィーリングから逃げたり、それを拒絶したり、押さえつけたり、あるいは避けたりするかわりに、ハートはそれを受け入れます。
受け入れるだけでなく、辛いフィーリングを喜んで迎えるのです。

すると、内側にあるたくさんの可能性が開きはじめます。
ときには自分にも人にも慈愛の気持ちを感じ、ときには新しい理解が生まれます。
また、ときには見方が変わり、それまで大問題に見えていたことが、実際はそれほどたいしたものではないことがわかり、解決法がシンプルではっきりしたものになることもあります。

問題だと思っていたことが、実は単なる誤解だったことに気づくこともあり、そうして問題は消え去っていきます。
よくあることですが、痛みのなかにはすばらしい贈り物があるのです。
そして、ハートによって、その贈り物が手に届くものになっていくのです。
ハートを通して、状況に抵抗せず、それを経験するままに任せられると、多くの可能性が開いていきます。

    「リーラ・ラブガーデン インタビュー」より

『リビング・エナジー』Vol.9(p18)


 

【信頼すると、ハートは人生を変容させるのに必要な強さを持つことができ、生活の改善に役立つようになります】

【誰でも辛い感覚やネガティブなものから逃げようとする傾向があります。ハートの働きは、まさにその正反対です。辛いフィーリングから逃げたり、それを拒絶したり、押さえつけたり、あるいは避けたりするかわりに、ハートはそれを受け入れます。受け入れるだけでなく、辛いフィーリングを喜んで迎えるのです】

【よくあることですが、痛みのなかにはすばらしい贈り物があるのです】

そういうことなのですね。

pari 記

 

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