人生を体験するということは、ある物語世界のなかに入ってくるということと、とても似ていると思いませんか?
というか、もしかして、これは同じことなんじゃないでしょうか?(*^_^*)
なぜそう思うかと言うと、私たちは生まれてきたときにはまだ、自分が男なのか女なのかすら知らないからです。
もちろん、自分の名前など知りませんし、親が誰かも、何国人なのかも知りません。
そういうのはすべて、あとから聞いた話です。
私たちは、いわば聞いた話を真に受けて、その話を受け売りして、物語の登場人物を演じているのだと言えないこともありません。(^_-)
ほら、小説か何かで、「自分は子どものころ、この両親は自分のほんとうの親ではない。自分のほんとうの親は別にいるんだと思っていた」といった設定の主人公が出てくる物語を読んだことはありませんか?
そういうこともありうる話だと思います。
だって、この人生というドラマに入ってきて、自分の立場とその環境を受け取ることは、それくらいショッキングな場合もあるでしょうから。
そういうわけで、その物語を受け取るときに、ちょっと耐え難いような衝撃を受ける場合もあるようなんです。
というか、大人になるまでの間に特に何もショックを受けなかった、なんて人はまずいないわけです。
そのショックを受けた幼少時の記憶は、じつはそのまま凍ったような状態で、肉体のどこかの細胞に蓄積されています。
それを「インナー・チャイルド」と呼ぶことがあるようです。
(有名なスピリチュアルマスターのエックハルト・トール氏は、“つらい体験”という意味合いを強調した「ペイン・ボディ」という呼称を使っています)
この「インナー・チャイルド」というのは、幼少時の体験時に、しっかり体験してもらえなかった感情です。
当時の幼いショック状態のまま無視され、システムから分離された状態で貯蔵されて、それ以降のいわば大人としての感情体験をしてもらっていないわけですよね。
まあ、可哀相なんですよね。
今回ご紹介する記事「インナーチャイルドを育む~鞍馬山サナトクラマとつながる旅 ~インナーチャイルドを育むコースを受けて」のなかで、金井智子さんは、この「インナーチャイルド」を癒やすだけではなく、それを「育む」可能性について触れていらっしゃいます。
このコースが開催されるにあたり、「インナーチャイルドを育む~鞍馬山サナトクラマとつながる旅~」という題名に、とても魅かれたことを覚えています。
インナーチャイルドという言葉には、「ヒーリング・癒し」という言葉が多く使われているなかで、「癒す」ではなく「育む」という意味があり、とてもポジティブな印象を与えてくれました。
そして、癒すだけではなく『今から育てることができるのだ』というワクワク感へと変わっていったのです。
春の京都。
満開のピンクの桜に包まれて行われた3日間のコースは、お天気もとてもよく、すばらしい景色のなかで開催されました。
特に2日目に訪れた鞍馬山では、参加者全員でバスに乗り、桜のトンネルを抜けながら山を登っていき、自然と時間に祝福され、歓迎を受けているような感覚さえありました。
ちょうどその日は、お釈迦様の誕生日(4月8日)で、花祭りの日でした。
お釈迦様の仏像に甘茶をかけてお祝いすることができ、甘茶のお接待もいただきました。
光に包まれて、とても美しい世界を見せていただいていることを全身で感じられる・・・そんなすばらしい体験でした。
鞍馬寺は鞍馬山の頂上近くにあり、本殿の地下にサナトクマラの仏像があります。
その横に並んで2つの像がありました。
その3つのご神体はどれも、この世界をプロテクションしている存在であるとお聞きしました。
サナトクマラは金星から降りたったといわれているマスターで、私たちの住むこの世界の自然や大気、生き物とのつながりへの感謝を教え、この世界と天界をつなぐ役目をしている存在であるといわれています。
サナトクマラは、オーラソーマのなかではペールコーラルの光線を持ったマスターです。
私たちが幼いころ、愛に気づけず受け取ることが難しいとき、私たちが伸ばした手をつないでくれ、一度つないだ手は離すことがないといわれています。
愛されていることに気づくことが難しく、気づけないとき報われない愛というパターンから抜けだし、愛に気づき、それを受け入れて手放していくことをサポートする。
そして、カルマをダルマへ変えていくことへと、つなげるマスターでもあります。
このコースのなかで、“ブッタの身体にキリストの意識・痛み・苦悩があってこそ、人は気づき成長する。
無価値観や報われない愛の感覚に気づき、目覚めていくこと。
それこそが新しいキリスト意識の目覚めにつながり、サナトクマラのコーラルのエネルギーにつながること”だということを学びました。
金井 智子「インナーチャイルドを育む~鞍馬山サナトクラマとつながる旅~
インナーチャイルドを育むコースを受けて」より
『リビング・エナジー』Vol.9(p25-26)
肉体を持つことで、私たちは人生体験というドラマのなかでひとつの立場を演じることができるわけですが、なかなかの大事業とも言えますね。
これからそれが少しずつ楽になっていくのでしょうか?
きっといろいろ手放さなければならないものがあるのかもしれませんね。
pari 記