自分は誰なのか?
「カウンセリング[内なる宝の扉への鍵]」から
ラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士
【自分は誰なのか?】という問いは面白いですね。(*^_^*)
古来、多くの賢者たちが「私とは何か?」を語ってきたようです。
そして多くの賢者たちが、自分というものは存在しない、とか、私がなんであるかを示すことはできない、とも語ってきたようです。
しかし、私たちは、自分というものはいない、と言われても、いまいち、ピンときませんよね。
それで、結局のところ、自分とはなんなのだろうと、言葉で示すことができるギリギリの表現を知ろうとしたりします。
やっぱり、私がなんであるかを示すことはできない、という表現に満足できないのでしょう。
だって、現に私はこうして存在しているし、なんて思ってしまいます。^^;
でも、どうやら、自分というものは存在しない、とか、私がなんであるかを示すことはできない、という表現は、本当にそのとおりなのかもしれませんね。
それはともかくとして、私たちの苦しみがすべて、【自分をなんと思っているか】によることだけは間違いなさそうです。
つまり、逆に言うと、自分の苦しみに目を向ければ、自分が自分を何だと誤解しているかが明らかになるというわけです。^^;
ラハシャ博士の処方箋をご紹介しましょう。
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自分は誰なのか?
カウンセラーは「私が両親や社会から借用した人格の背後にいる、自分とは誰なのか?」という疑問のなかにいるクライアントをサポートします。
クライアントが人格的側面の背後にあるものを発見したら、その人は本質(エッセンス)と呼べるものと接触したということです。
その本質(オーラソーマではそれを「魂のボトル」にも結びつけます)から、クライアントは自分の個性の非常に特有な要素と特色を発見することができます。
彼または彼女はすでにある花、あるいは今回の生涯で自分がなるべき花を発見することができます。
クライアントはこれを理解し、他の誰かになろうとするのを止めることができます。
バラが蓮の花になろうとはせず、バラであることを楽しんでいるのとまさに同じく、クライアントはあるがままの自分の覆いを取り、その自分を喜ぶことができるのです。
本質はいかなる意味でも人格や人格の変化によって影響されることはないので、カウンセリングはクライアントがこの心身における生の流れが表現しているものを受け入れ、抱擁し、楽しめるように助けることができます。
人生における大部分の苦しみは、私たちが自分の源泉から切り離され、分離し、切断されていると感じるために起こります。
苦しみが起こるのは、私たちが押されたり引っ張られたり、外側にある何かの圧力の下にいて、そこで自分が外的境遇の(主人ではなく)奴隷や犠牲者になっていると感じるからです。
この犠牲と苦しみは誤解です。
それは自分の外側にある対象と同一化しようと外側に向かって動くエネルギーのせいなのです。
カウンセリングは、クライアントがエネルギーの向きをグルリと変えて、すでにある自分を発見するように助けます。
不思議な現象とは、その瞬間何が体験されていたとしても、それが悲しみであれ、怒りであれ、失望であれ、無力感であれ、あるいは喜び、幸福、愛であれ、すべて自分が個であることの発見への扉になることです。
どんな感情や状態でもそれが拒否されることなく、それを別のものにしようとすることなく、それを変更しようとするいかなる期待もなく全面的に体験されたなら、その経験そのものが喜びとなります。
この瞬間にあるものを全面的に体験しようとする意志そのもののなかで、ネガティブな、あるいは苦しい出来事が喜びに変容するのです。
『リビング・エナジー』Vol.4(p13-14)
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【人生における大部分の苦しみは、私たちが自分の源泉から切り離され、分離し、切断されていると感じるために起こります】
【この犠牲と苦しみは誤解です。それは自分の外側にある対象と同一化しようと外側に向かって動くエネルギーのせいなのです】
じつに的確ですね。
pari 記
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