物質世界はエネルギーフィールド
「オーラソーマ 光と身体」から ドミニク・ヨーマン
物質の最小単位とされる原子のイメージが個体でなくなってからどれくらいなんでしょうね。
でも日常生活の上では、今でも個体とか液体とか気体という感覚的な分類が使われます。
そしてその世界の物質的対象物は感覚的にはより細分することができます。
たとえば、石ころは個体ですが、これは他の石にぶつければ割れますよね。
水なんかだと器に注ぎ分ければいくらでも細分化できます。
この感覚的物質世界には「破壊も分割も出来ない物質最小の粒子」があるはずと考えて、その最小粒子を「原子」と名づけたのは紀元前420年頃のデモクリトスだそうです。
現代人のわれわれだって、個人としては誰もがこんなことを思いつくわけではないですよねぇ。
そして、このデモクリトスの物質最小粒子(原子)のイメージを近代科学的な衣装で再構成したのが、19世紀初頭のイギリスの化学者ドルトンだそうです。
でも、当時の科学者だってその見解にはついていけなくて、「原子が存在するとは信じない」と言う科学者の方がむしろまともだと考えられていたそうです。
現代のわれわれは、子供のころから物質は原子と分子から作られていると教わりますから、なんとなくそういうものかと思っていますが。(^^;)
でも、そのわれわれも、感覚的にはもちろん、個体や流体や気体の世界を信じていて、現代の素粒子論の物質世界イメージとはほぼ無縁ですよね。
生活上は、それで別に困りませんし。(^^;)
でも、科学的知見では、原子より小さなスケールの世界は、われわれが普通体験している感覚的世界とはまったく様態の違う世界みたいです。
そもそも個体は個体であるものからなっているわけではなく、一種の魔法のエネルギー場みたいなものであるらしいですから。
オーラソーマのボトルの働きなども、そのような世界でしか本当は説明できないのかもしれません。
ではドミニク・ヨーマンの「オーラソーマ 光と身体」の記事からご紹介しましょう。
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物質世界はエネルギーフィールド
……
ここではオーラソーマのカラーシステムからの洞察とともに、光とボディーの関係を探ってみましょう。
まさにオーラソーマ(Aura-Soma)という名前が、このシステムがこの主題と親密にかかわっていることを示します。
この名前は最初のボトルが誕生した後、すぐインスピレーションで受け取られたものです。
「オーラ」とは「放射」、あるいは「エネルギーフィールド」を意味します。
この領域は光と色によって知覚されます。
「ソーマ」はたとえば精神身体医学においては「身体」を意味します。
オーラソーマという名前は、このシステムの意図とそれが与えることのできる可能性を表しています。
その可能性とは、エナジーフィールドと光と体のつながりです。
オーラ(Aura)とソーマ(Soma)が(英語表記では)ハイフンによってつながれています。
光のフィールドと体が分かれているものではなく、実際はより深い根底にある一つの調和の二つの側面であり、とぎれのない一つのエネルギーの一部であるからです。
この考えは科学の世界においてはもはや異質のものではなく、現実の中で、科学研究の先端で働く量子物理学者によって生み出されたものです。
今世紀の初頭から、彼らの発見は科学の理解における発展を見ることによって、生命をつくる最も小さな個は、まったくのところ固体ではなく、エネルギーの力であるという気づきを導いてきました。
私たちが、自分自身を、そして私たちを取り巻く宇宙をどのように見るかに最も深い関係を持った研究です。
体もその一部である物質世界というのは、固体ではなく、普遍のものでもなく、ただエネルギーフィールドでつくられたものです。
その領域では、エネルギーの力は不規則にONになったりOFFになったりするようで、それが最も小さな微粒子が現れたり、消えたりする原因となるのです。
物質世界のすべて、それは我々の肉体を含む、構造と固体を持つものすべてが、可能性として存在の中で瞬間に現れたり、消えたりしていると考えるのは、私たちの現実のレベルでは理解するのがほとんど不可能です。
最も深いレベルの現実において、科学は光と身体の関連性を発見しています。
『リビング・エナジー』Vol.4(p77)
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【物質世界のすべて、それは我々の肉体を含む、構造と固体を持つものすべて
が、可能性として存在の中で瞬間に現れたり、消えたりしている】……。
どうやら、たんなる「見かけ」の世界でわたしたちは生きているようです。(*^_^*)
pari 記