魂の体外旅行―体外離脱の科学
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1990 年代に入ってすぐに、何か奇妙な雰囲気を感じた本のこれは“はしり”だったのではないかと思います。
何ということもなく本屋で手にして、“体外離脱”なるものへの興味で買って帰った本でした。
この本の読書体験はいまではちょっとうまく思い出せないほど遠いものになってしまいましたが、でも、その時の部屋のある種の空気みたいなものの記憶が残っているくらいですから、かなりの衝撃と違和感を覚えたのだろうと思います。
たとえば「不思議研究所」の森田健さんの場合は、本書との出会いが即アメリカの「モンロー研究所」行きにつながったわけですよね。
たぶん、森田健さんの場合は、この本から大きな“可能性”のようなものを感じられたわけでしょう。
それに対してわたしがキャッチしたものは、とても違和感のあるちょっと受け入れがたいような情報内容だったのだと思います。
人は自分の内面に見合った世界を引き寄せ、物理次元に展開するわけですよね。
わたしにとってのこの本の内容というのは、ある意味で「第十二章 伝聞証拠」という箇所の情報に集約されていました。
著者のロバート・モンローさんにとっては、「ルーシュについてのロートに順応するのに数ヶ月かかった」そうです。
“ロート”というのは、一度にダウンロードできる情報の単位のことだそうです。
つまり、普通のわれわれの言葉のイメージでは“書籍”くらいの情報量でしょうか。
“ルーシュ”という言葉は、そうですねぇ、“感情エネルギー”とでも意訳すれば当たらずといえども遠からずでしょうか……。
モンローさんは、本の中で「順応」という言葉についてこう説明しています。
「『順応』という表現はかなり広範な意味を含む言葉で、それが説明しようとしている内容は、ショック、拒否反応、怒り、落ち込み、諦め、受容のサイクル全部を含んでいた。私がたどった順序は、病気やけがで死期が近づいて知らされた時に人がどう反応するかを研究したものや、そういった時に他の人たちが発見したことと酷似していた」と。
単なる読書体験にすぎないわたしの場合、むろん、それほどの落ち込みになるはずもないわけですが……。
その後どこかで、宇宙のなかでは本当の意味の食糧というものは「感情」なんだ、というようなことを教わったりしました。
ちょっと、立ち読みしてみましょうか。
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肉体への帰還はほぼ瞬時の内に起こった。
それは丁度パニック・ボタンを押したみたいで、そういう帰還の仕方は久しくしていなかった。
精神的にも肉体的にも強度の疲労感あり。それに帰還時刻をチェックするのも怠ってしまった。
エネルギーがなく、何をする気にもなれい。眠りにつけない。
起きて台所に行き、コーヒーを入れる。椅子に坐りコーヒーカップをじっと見つめていた。
この後の2週間は探求するエネルギーもなく、そうしたい気持ちも起こらないまま落ち込んでいて、唯一表層に浮かび上がった収穫は次ぎに掲げるものだけだった。
夕暮れ。ガーンジー種の乳牛は餌を求めて牧草地を何マイルも歩き回っていた。
ここには牧草が今では沢山生えているが、乳牛はそれがどうしてなのか頓着しなかった。
道の向こう側の(柵の)門を通り抜けるかわりに、「彼」の指示するまま穏やかにこちらの門の方を通り抜けてきたのだ。乳牛は気が付かなかったけれど、「彼」は乳牛にはここの方がよい草が見つかることが分かっていたので、この乳牛をこちらへ移動させたのだった。乳牛は「彼」に指示されることをしたまでだった。
だが、夕暮れになったので、また時間が来てしまった。「彼」の家へ行かなければならない。
乳牛は自分の体の下側につつかれたような痛みを感じるので、行かなければならないことが分かるのだ。丘の上の「彼」の家は涼しく、食べるものがある。そして「彼」が痛みを取ってくれる。
ガーンジー乳牛は丘を登り「彼」の家の脇で待つ。
じきに門があいて彼の家にある自分の場所に歩いて入り、「彼」が自分の前に置いてくれる草を食べる。
食べているあいだに「彼」は痛みを解いてくれる。そうすると朝まで大丈夫だ。
その後その「男」は円い容器に入った白い水を持って出ていく。
ガーンジー乳牛には「彼」がどこでその白い水を得たか、どうして「彼」がそれを欲するのか分からない。
分からなくても乳牛は別にかまわない。
(P283-284)
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pari 記
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