「あの世」からの帰還

「あの世」からの帰還―臨死体験の医学的研究/マイクル・B. セイボム ¥2,200 Amazon.co.jp
前回、高木義之さんのをご紹介しましたが、今回ご紹介するのは臨死体験についてわたしが初めて読んだ本です。
この本を初めて読んだころには、自分なりにいわゆる“死後の生(意識の不滅)”を疑ってはいなかったと思います。 それでもこの本を読んだことの“駄目押し”効果は非常に大きかったです。 アメリカで映画「ゴースト ニューヨークの幻」が1990年に製作されるような機運が生じる以前に、こういう類の情報がアメリカではかなり出版されていたんでしょうね。
いわば物質主義の頂点を極めていたとも言えるアメリカですから、こういうテーマが出てくるときには、徹底的な物証リアリズムで迫るしかないわけでしょう。 わたしは単に意識の不滅を“信じて”いただけで、もちろん、自分の個人的な体験として“知って”いたわけではありません。 だからその意味で、この本の迫力はやはりスゴかったです。 その証拠に、本書を読んだ後では、自分の体験でそれ(意識の不滅)を“知って”はいないにしても、今度は疑うことが不可能になりましたから。 それぐらいの説得力はあったということです。
臨死状態の患者がその肉体の位置からは絶対に見えるはずのないものを「間違いなく」見ていたことの証明に、なぜセイボム博士がこれほど力瘤を入れたのか……、やがてはその意味すらわからなくなるのでしょう。(^^;)
セイボム博士のこの本のありがたさは、博士本人がこの研究時点で“死後の生”を信じていなかったことです。 もしかしたら、博士は反証を得たかったのかもしれません。 自分が本心納得できるまで、博士はとことん突き詰めたと思います。 自分自身を納得させるために、この研究をしたようなものではないでしょうか。 これほど念を入れた記述も、そのことがわからないと意味がわかりません。 このような態度こそが科学的態度というものなんでしょうね。 自分のそれまでの信念を打ち砕く実証を得たときほど、科学者の力量を問われる場面はないだろうと思います。
ところで、2011年の現時点でも、この本はまだ時代遅れになっていないわけですよね。 今でもまだ、われわれの医学は肉体の生のみを引き延ばすことに汲々としていて、意識の不滅という事実にまともフォーカスしてはいないわけですから。 では、ちょっと立ち読みしてみましょうか。
——————————————————————– セイボム その器械やそれが乗ってた台車について細かいことでお気づきになったことはございましたか。
患者 正面にメーターがついていた覚えがあります。多分電圧とか電流とかワット秒とかそういうことを計るメーターだと思いますね。
セイボム そのメーターはどんな感じのものかおわかりになりましたか。
患者 四角い形で針が二本付いてて、一本は固定される方で、もう一本が動くようになっていました。
セイボム 針はどんなふうに動きましたか。
患者 かなりゆっくり起きてくるようでしたね。     電流計とか電圧計とかと違って、速い動きはしませんでしたよ。
セイボム 針はどのくらいのところまで行きましたか。
患者 最初は時計で言えば、11時から12時当たりを指していました。二回目は12時を超えるところまでいって、三回目は1時半くらいまでいきましたね。(p165)
一般的な医学的な見地から考えると、本患者が行った蘇生場面の自己視的描写は、集中治療病棟内で熟練した専門家が心肺蘇生を行う際予測される内容と正確に一致している。 除細動装置に充電が行われているときに、そのメーターの「固定される」針と「動く」針について患者は的確に描写しているが、その点に私は特に強い印象を受けた。 この二本の針の動きは、この装置が使用されている場面を実際に見たことがなければ分からないものなのである。(p170-171)
 
       『「あの世」からの帰還―臨死体験の医学的研究』 ——————————————————————–
ふーむ。(-_-)
この機械は、通常患者さんの目に触れることは絶対にありえない機械だそうです。
また、たとえ眺めたことがあったとしても、患者さんがこの機械の針の動きを肉眼で見ることだけは絶対にありえないのだとか。
そりゃそうですよね……心肺停止の患者さんが心臓に電撃ショックを受けているとき以外には、この機械にスイッチが入れられることはないわけですから。(^_-)
pari 記
     
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