星からの帰還

星からの帰還 (ハヤカワ文庫 SF 244)/スタニスワフ・レム ¥591 Amazon.co.jp
本というのは、いずれにしろとても個人的な出会いですよね。 それこそ星の数ほどもある本のなかから、一生の間にほんのわずかの本と出会うわけですから。 そんななかでも何度も読む本というのは、さらにずっと少なくなります。 だから、そういう本をご紹介したりするのは、ちょっと恥ずかしいような感じもあります。 長い期間に亘って、この本を何度読んだのか、いまとなっては自分でもわかりません。
でもなぜか、ときどきふと思い出したように読みたくなって、本棚から取り出したものです。 たぶん、別の世界に行きたくなって……。(*-_-*)
今回ご紹介する本は、SF小説です。 日本の作家の本ではなくて、ポーランドの作家の本です。 いまとなっては大昔になってしまいましたが、ちょょっとSFに凝っていたことがあって、早川書房の「SF全集」というのをすべて読んだことがあリました。
その全集の中に『ソラリスの陽の下に/無敵』というのがあって、これがとても面白かったのです。 たぶん、そのことがあってポーランドのSF作家スタニスワフ・レムという名前を覚えていたのでしょう。 そして、おそらく神保町の本屋の棚で、当時は集英社から出されたこの本を見つけたのかもしれないと思います。
その「SF全集」は、とおの昔に自分の手元から離れています。 ……でも、この単行本だけは、手放さなかったわけですよね。 ときどき、なぜか、ふっとこの本を読みたくなるんですよ。 その頻度は、最初は随分間遠だったような気がしますが、その間隔が段々詰まってきて、この頃では二年に一度くらいは読んでいるかもしれません。
そんなに読んでいるんですから、別に新しい知見があるわけではありません。 ただときどきふと思い出して、なぜか無性にこの本の世界に浸りたくなるんですよね。 まあ、わたしにとっての一種の“浪花節”のようなものかもしれません。
この本の裏表紙の折り込みに“ポーランドでは、レムほど広い読者層を持つ現代作家はほかにいない。ソ連、西ヨーロッパで広く読まれ、国際級のSF作家とみなされている”と書かれていますから、とても有名な方なんでしょうね。
今ではすっかり読まなくなってしまったドストエフスキーや宮沢賢治や夏目漱石と比べると、いつの間にかこの本は、山本周五郎以外にわたしが読む唯一のフィクションになってしまっているようです。 まあ、しいてそういう言い方をするなら、このスタニスワフ・レムという作家は、きっとスターピープルということになるのかもしれませんね。
わたしはただ、フィクションの読者としてときどき無性にこの本が読みたくなるだけですが、そういう意味での引用などできることでもないので、ここでは、まったく、別なことを引用しておきましょうか。 別にこんな内容を読みたくて取り出す本ではないんですけどね。(^_-)
ま、ちょっと立ち読みしてみましょう。
——————————————————————–  そんなわけで、現在では、子どもを持つ権利の獲得は、万人に認められるわけではない特別の報償になっていた。
さらに、子どもができても両親は、自分の子どもたちを同年齢のほかの子どもたちと切りはなして育てることはできない。 特別に選び出された男女の混成グループがつくられていて、そこでは、それこそ多様な気質が発揮されるようになっていた。
そして、いわゆる問題児はヒプナゴーグによる特別治療を受けるのである。 また普通教育は異常に早くからはじめられていた。 といっても、読み書きの勉強ではない。 読み書きを教えるのはずっとあとのことだった。 ごく幼い子どもたちの教育は、特殊な遊戯をとおして、世界と地球の機能、社会生活のゆたかで多様な形式になじませることにあった。
こうした自然なかたちで、子どもたちは四、五歳のうちにもう寛容さ、共同生活、他人の意見や考えにたいする敬意を身につけ、さまざまな種族の子どもたち(つまり人間)の外向的・肉体的特長を本質的だとみなさない精神がたたきこまれた。
これらすべては、きわめてりっぱなことのように私には思えた。 ただし、ひとつだけ根本的な保留条件があった。 つまりそれは、この世界の動かしがたい基礎、その最高の法則がベトリゼーションだという点である。
まさに教育は、このベトリゼーションを生と死のようにとうぜんのこととして受けいれさせるのがねらいだったのだ。 エリの口から学校での歴史教育の話を聞いたときには、あやうく怒りを爆発させそうになった。 過去は動物性の時代、とめどのない動物的生殖の時代、激しい経済的軍事的変動の時代とみなされていたのである。
さらに、黙殺できない文明の達成は、時代の暗黒と残忍さに人々を打ちかたせた力と熱望の表れだと規定されていた。 したがって、これらの達成は、いってみれば、当時支配的だった他の犠牲のうえに立つ生活傾向にさからうことによって生まれたものだというわけである。 彼らの説では、昔非常な困難をへて達成されたもの、以前はわずかな者しか達成できなかったもの――そこへ到達する道にはさまざまな危険が、断念と妥協が、物質的成功を手に入れる代償としての道徳的敗北が待ち受けていた――でも、現在ではその達成はごくあたりまえであり、容易かつ確実なことであった。(p253-254)
   『星からの帰還』 ——————————————————————–
ふーむ。
まあ、こんな立ち読みだと、一体なんでこんな本が面白いの (?_?)、っていう感じですけど……。
この世界には、生活のための労働というのは、ないんですよね……。
pari 記
     
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