ラマナ・マハリシの教え
今度はまた古い本をご紹介します。
と言っても、内容が古いという意味ではありません。
それは永遠に古くならないでしょう。
永遠に新しく、新鮮なままでしょう。
わたしがこの本を手に入れたのは、初版の出版直後でした。
というと、今から三十年前になるのですね。
といっても、じつはそのとき読んだときはまったくわかりませんでした。
頭がまったく別の世界を向いていたので。(*^_^*)
この本に書かれていることの意味がわかりはじめたのは、ごく最近になってからのことです。
だから、手に入れたのは大昔でしたが、読み始めたのはほんの数年前といったところです。
翻訳者は山尾三省さんといって、昔学生運動が盛んなころの知る人ぞ知る詩人です。
この翻訳書が大見者ラマナ・マハルシの言葉が、はじめて日本語になって出版された本なんですね。
そして、本自体も今から見るとあまりいい紙質ではありませんし、大きな本でもありません。
でも、この小さな本に書かれている内容が、当時はまったくわからなかったんですね。(-_-;)
スピリチュアルな探求者でラマナ・マハルシの名前を聞いたこともない人はあまりいないと思いますが、かと言って、彼が語った言葉の内容がそれほど知られているとも思えません。
ラマナ・マハルシは二十世紀のインドで最も、そして特別に尊敬された大賢者だろうと思います。
今では日本でも、誰もが手軽に彼の言葉を日本語で読むことができます。
彼はけっして自ら語りだした賢者ではありませんでした。
それどころか、人々のなかに出るのがどうしても嫌で逃げまわった人です。
それでも逃げ切れずに、とうとう人前で話さざるをえなくなった方です。
いったい、どういうことをおっしゃっているんでしょうね。
ちょっとご覧になってみてください。
ここでは「自己実現」という章のなかの一節をご紹介しましょう。
——————————————————————– 弟子 どうやつて自己に到達できましょうか? マハリシ 自己に到るということはない。 自己がもし到られるべきものならば、それは今ここにはなく、やがて得られ る何かを意味するだろう。 新しく得られるものはまた、失われるものでもある。 それは永遠のものではない。 永遠でないものに努力する価値はない。 それゆえに、自己は到るものではないと言うのである。 あなたは、自己である。 あなたは、すでにそれである。 事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態について無知だということだ。 無知は次から次へと続き、至福である自己にヴェールをかける。 努力はただ、この悪い知識である無知のヴェールをはぐことに向けられれば よい。 悪い知識とは、自己と身体や心などを誤って同一視することである。 この偽りの同一視は去らねばならぬ。 そうすればただ自己のみがそこに残る。 それゆえ、実現はすべての人おのおののものである。 実現は、それを願う人々の間に差別をつけない。 あなたが実現できるかという疑いそのもの、自分は実現していないう考えそ のものが障害である。 このような障害物からも自由になりなさい。 『ラマナ・マハリシの教え』 ——————————————————————–
……。(-||-)
> あなたは、自己である。 > あなたは、すでにそれである。
ここでいう自己とは、求道者たちが求めに求めている「真我」のことです。
> 事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態について無知だということだ。
この無知が、世界を創造しているのですね。
> 無知は次から次へと続き、至福である自己にヴェールをかける。 > 努力はただ、この悪い知識である無知のヴェールをはぐことに向けられれば > よい。
マハルシの言葉とは、こういう言葉です。
これでは、マハルシの名前がいくら有名になっても、その言葉が広がるはずはないかもしれませんね。
pari 記
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