自分のしていることを、どのようにするのか

自分のしていることを、どのようにするのか  
「ティーチャーズアップデート」より  マイク・ブース
        英国オーラソーマアカデミー(http://www.asiact.org/)のサイトのタイトルに「Welcome to ASIACT」とあることは御存知ですか?
最初は、「ASIACT」、アジアクトって何なんだろう (?_?)、って思ったものです。(*^_^*)
どうやらこれは、「As I Act」(アズ・アイ・アクト)読むらしい、と後から知りましたけど。
「As I Act」って聞くと、何となくシェイクスピアの喜劇のタイトル「As You Like It」(『お気に召すまま』)なんて言葉が連想されます。
“あなたのお好きなように”という意味ですよね。
明治の多彩な文人坪内逍遙がそれを『お氣に召すまゝ』と名訳していらい、それ以外のタイトルは考えられなくなったわけでしょう。
じゃ、「As I Act」って何なんでしょう。
文字通りの意味では“私が行為するように”ということになると思います。
でも、“私が行為するように”って、いったい何が言いたいんでしょうね。
どうやらそれは、“私が行為するように、物事は生まれる”、“私が行為するように、私は創造している”といったような意味らしいのです。
どうやら、「What I do」:私がしていることを(私は創造している)、のではないというような意味らしいのです。
人間は誰もが何かをして世の中から報酬を得、生存していることは間違いないでしょうね。
だから例えば、誰かが電車を運転していると聞けば、その人が何をする人なのか、その人の職業がわかります。電車の運転手さんなんだなと、わかったような気になります。
でも例えば、誰かが絵を描く人だと聞いたら、なるほど画家なのかとはわかりますが、その人がどんな画家なのか、どんな絵なのかはまったくわかりません。
当たり前ですよね。(^^;)
彼が何を感じて、どんなふうにその絵を描くのかはわかりませんから。
でも、その画家にしてみたら、きっと彼が絵を描いていることに意味があるのではなくて、どんな絵を描いているのかに意味があるのかもしれません。
つまり、絵を描くということをどのようにやっているのかに意味があるのでしょう。
その意味では、電車の運転手さんのほうだって、電車を運転することを行なっているんじゃなくて、慎重に運転して安全にお客さんを目的地に送り届けることに注意を集中しているわけですよね。
考えてみれば、電車の運転手さんがただ電車を運転しているだけだったら、乗客は危険この上ないかもしれませんね。(^^;)
マイク・ブース氏の次の文章を読んでそんなことを思いました。
         ——————————————————————– ゴールドへ光をもたらすことは、自分自身の中にある智慧の源に、内なるティーチャーに、真のオーラに、私たちがなぜここにいて、その真の目的がなんであり、「自分のしていることを、どのようにするのか」といったことに注意を与えることと同義語なのです。
「自分のしていることを、どのようにするのか」ということは、自分のアイデンティティを、自分のしていることから、自分がなにをしていようとそれに質をもたらすことにシフトすることと同じアイデアです。
質問「お仕事はなんですか?」
答え「私はオーラソーマティーチャーです」
私たちはこの質問に対して、もっと深みと誠実さを持って、素直に答えられるでしょうか。
私は光の身体について分かちあっています
光の身体を形成することが、なにを意味しているのかを理解することは、自分がなにをしているのかという自己同一化をやめることです。 私たちの注意は「自分のしていることを、どのようにするのか」に向けられます
世間において「ところで、あなたのお仕事はなんですか?」という質問に対して、「私は思いやりと暖かさをもたらそうとしています。気づきと安らぎを、自分のしていることにもたらそうとしています」と、答えることができるでしょう。
これは、世間ではどの程度受け入れられるでしょうか。 「私は医者です」あるいは「私は精神科医です」「私はこれです、あれです」というアイデンディティに包まれている人に、これがどのくらい伝わるでしょうか。
もし人類が、自己同一化について自分がしていることに自己同一化することから、「自分のしていることを、どのようにするか」に向けて変化をはじめたら、それは革命的なステップになるでしょう。

                 『リビング・エナジー』Vol.6(p135) ——————————————————————–
なるほど……。
この世で何をしているかというのは単なる役割にすぎず、もしそれだけなら役割への自己同化にすぎない、ということのようです。
ただ、まだちょっと一般的には受け入れられにくい観点かもしれません。(^^;)
とても当りまえのことのようでもありますが。
pari 記

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