はじめてのオーラソーマ No.396 2023.9.1
みなさん、こんにちは。
えつこです。
今回も「はじめてのオーラソーマ」をお読みいただき、ありがとうございます。
前回のぱりさんのお話は、【B019 物質界に生きる】でした。
まだお読みでない方は、こちらからご覧くださいね。
今回のお話は、【灰色(Gray)のイメージ】です。
灰色といえば、日常においてもよく見るおなじみの色ですね。
洋服でも黒とならんで必ずといっていいほどある色ですし、コンクリート打ちっぱなしの建物などはスタイリッシュで無機質なイメージがします。
灰色は黒と白の間の色なので、そのどちらにもコーディネイトしやすい便利さがあります。
しかし別の側面として、その中間という質から、あいまいさや不安といった要素があります。
オーラソーマの輝く虹色を見ていると、そこに気持ちや感情が動きますが、灰色はなんだかどんよりした気持ちになってしまいます。
そう思うと、なかなかユニークな色ですね。
オーラソーマは光のシステムなので、そこに灰色がないのもちょっと納得ですね。
今日から9月です。
まだまだ暑さが続きますが、もうすぐ秋が訪れます。
太陽の光で鮮やかに見えていたものも、少しずつ落ちついたものへと移り変わっていきます。
そんな中間の季節を味わいたいですね。
それでは、今回もぱりさんの【灰色(Gray)のイメージ】をおたのしみくださいね。
えつこ
色のイメージ:10回目【灰色(Gray)のイメージ】
総合情報サイトの「色彩心理学」のページ
は、世間一般の「色彩心理学」的内容をご紹介しています。
ひまな折にでも眺めていただければと思います。
このメルマガでは「色のイメージ」については
オーラソーマの見解を中心にご紹介していますが、
「色」についていろいろ資料に触れて学ぶと
世間一般の「色のイメージ」もとてもおもしろいです。
この「はじメル」の偶数号テーマは
「ボトルメッセージ」と「色のイメージ」を
隔週交互に織り交ぜてご紹介しています。
今回は「色のイメージ」の10回目
【灰色(Gray)のイメージ】をご紹介します。
★
●灰色(Gray)の中核的イメージ
太古の昔に人々が目にした灰色は何だったか?
まず思い浮かぶのは、
嵐を予感させて襲来する雨雲の色でしょうか?
それとも、どんより雲に覆われた陰鬱な曇天の色?
どちらともつかぬ、中途半端な、曖昧で不安な感じ。
それが灰色の中核イメージかもしれません。
また灰色は老いを思わせる色かもしれません。
見事な白髪、白髭はめったに見られず、
多くは白髪交じりの灰色だったことでしょう。
活気のない、生気を失った状態を思わせる色・・・。
あるいは草や木、動物を燃やしたあとに残る
文字通りの「灰」の色だったでしょうか?
それは、すべての生命活動を飲み込む色、
生命が最後に還る色を連想させたかもしれません。
「雨雲」「曇天」「白髪(まじり)」「草木灰」
そんなあたりが灰色の中核イメージでしょうか。
●語源
「灰色」は黒と白の中間色を指す色名なので
広範なグラデーションが含まれるわけですが、
日本語以外は多くの色名を含まないようです。
英語の“grey”(米語は“gray”)は、
ゲルマン祖語“grewa-(灰色)”から派生した
「色みのない白と黒の間の色」を指す言葉です。
もっとも英語の“grey/gray”は動詞になると
「白髪になる、灰色になる」「歳をとる、高齢化する」
の意味になるようです。
「灰色・鼠色」はもちろん「灰・鼠」の色の意ですが、
これは江戸時代以降の色名で、
それ前の平安時代では「鈍色(にびいろ)」
「薄墨色(うすずみいろ)」が主流だったようです。
鈍とは刃物などが切れなくなる「鈍る」が語源、
薄墨色は墨を薄めたようなやや薄い灰色のことです。
●地域的・歴史的イメージ展開
「灰色」について憂鬱・曖昧・老い・不正など
ネガティブな印象が先行していた西欧世界では、
灰色のイメージは特に発展・展開しませんでした。
その意味では、日本はかなり特殊なようです。
色名に「鈍色」が使われていた平安時代は、
鈍色は喪の色として扱われ、故人との
縁の深さに応じて濃い色を着たそうです。
日常使いに好まれる色ではありませんでした。
変化が起こったのは鎌倉時代です。
禅宗の枯山水の庭や水墨画など無彩色の芸術で
華やかな色から落ち着いた渋い色への
嗜好の変化が起こります。
無彩色に深みや精神性を見出す傾向が生まれ、
室町時代に侘び・寂びの美学が発展します。
「鼠色」とい色名が登場したのは17世紀前半、
江戸時代初期と考えられています。
当時はまだ長い戦乱の記憶が残っており、
火事や火葬などを連想させる「灰」色を嫌って、
「鼠色」という色名が生まれます。
多産の象徴の鼠が選ばれたのかもしれません。
江戸の施政が生み出した町人の豊かさは
幕府が「奢侈禁止令」を出すほどになります。
庶民の贅沢が厳しく取り締まられると、
町民は許可範囲の地味な色(茶色、鼠色、藍色)
のなかで最大限の美意識を競いあって、
「四十八茶百鼠」と呼ばれるほどです。
これほど多種多様な灰色が生まれたのは、
その微妙な色合いを見分けてきた日本人の
感性によるのでしょうね。
ちょっと“贅沢禁止令”など想像もできない
現代庶民は羨ましがるかもしれません。(^_-)
灰色を愛した文化は世界でも稀なようです。
江戸時代は幕府が禁止したくなるほどに
庶民が贅沢に走る気持ちの余裕を持っていた時代なんですね。
こういうことを知ると、明治維新というものが
どれほど悪辣なクーデターだったに思いがゆきます。
明治のはじめころ、日本を訪れた西洋知識人が
ことごとく幸せそうな日本庶民の姿に
驚嘆していたことが思い出されます。
続きはこちらからご覧ください。
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次回はまた「ボトルメッセージ」で
お目にかかりましょう。(^^)/
楽しみにお待ちくださいね。
m(_ _)m
pari 記