「ジャパン・ブルー」(鮎沢玲子さん)

あなたは日本を代表する色は何色だと思いますか?

こう聞かれたらおそらく多くの人が国旗の色を思い浮かべると思います。

日本の国旗は「日の丸」の日章旗ですから、色で言うなら太陽を表す中の部分の「赤」でしょうか。

外国の方々にとっても日本のイメージカラーはそんなものかと思ったら、これが結構違うんですね。

こんなサイトがありました。

【日本を色に例えるとしたら何色? -日本在住の外国人に聞いてみた】

これによると現代の日本に住む外国の方々が日本を喩えた色が、「桜色・ピンク」「赤白」「青」・グレー」「緑」「紫」「茶色」と、あまりにも多様なので驚きました。(@_@)

それぞれの人がこれほどにも違った目で見ているものなんですね。

ところで、江戸三百年の鎖国を解いた明治初期に日本を最初に訪れた西洋人にとっては、日本を象徴する色はそれほど多様ではなかったようです。

鮎沢玲子さんは、明治23年(1990年)に来日し、のちに日本に帰化した作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が見た当時の日本の印象を紹介しています。

では鮎沢さんの記事「日本の色とオーラソーマ Vol.3」からご紹介しましょう。


さて、このへんでプライマリーカラーの3色について、日本の色にまつわる話をご紹介しましょう。

プライマリーカラー、最初の色はブルーです。
明治23年(1990年)に来日した作家、ラフカディオ・ハーン(のちに帰化し、小泉八雲となる)は、初めて見た日本の印象を、以下のように自身のエッセイ『日本の面影』に記しています。

「まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。
 人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。
 青い屋根の小さな家屋、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。
 ・・・中略・・・・
 見渡すかぎり幟(のぼり)が翻り、濃紺ののれんが揺れている」


このようにハーンは初めての日本で、たくさんの青と出会います。

このときの青、特に布は「藍染」です。
彼以外にも日本にやってきた外国人の多くが、着物やのれん、前掛けや半纏(はんてん)など、町を彩る藍染の色を見て「ジャパン・ブルー」と呼んだほどでした。


江戸の藍染め

藍染の技術は日本独自のものではなく、古くから世界中にありました。

日本に藍が伝来したのは5世紀頃で、奈良時代にはその技法は完成していたといわれています。
そして江戸時代、日本では藍染の技術が高度に発達し、日本中に広がっていきます。

染物屋を「紺屋」(こうや)と呼ぶくらい、染める=藍、紺色を指していたのです。
藍の染料は、蓼(たで)という植物を還元発酵させて作ります。
発酵し、染色が可能な状態にすることを「藍を建てる」といい、20度以上の温度が保てれば、日本中の紺屋で一年中染めることができました。
こうして藍染は急速に普及していくのです。

藍染と聞くと、庶民の木綿の着物や、半纏などの作業着をイメージするかもしれませんが、高価で精緻(せいち)な着物もありました。
徳川家康が愛用したという「辻が花」は、藍を使った高度な絞り染です。

また、徳川御三家だけに着用が許されたという「茶屋染(ちゃつじ)」上質な麻に細かな線で青い文様を描く高級なものでした。

このように同じ藍で染めたブルーでも、バリエーションが幅広く存在します。
庶民が着用する濃紺で色持ちのよいものから、将軍家御用達の高級で格の高いものまで。

染料でこれほど普及し幅広く用いられたものは、藍以外にはありません。
現代のブルージーンズも藍(インディゴ)染めです。

藍は、絹も木綿も、また麻や羊毛でも、どんな繊維にでもよく染まります。
濃紺から淡い水色まで、あらゆる諧調のブルーを生みだすことができるのです。

それは、すべてを受け入れるブルーの性質を表しているような気がしてなりません。

時代を超えて、地域や文化を超えて、愛され続ける染料「藍」は、私たち日本人の性質に影響を与えているに違いないのです。 

「日本の色とオーラソーマ Vol.3」より
      『リビング・エナジー』Vol.9(p92-93)



【染物屋を「紺屋」(こうや)と呼ぶくらい、染める=藍、紺色を指していたのです】

【時代を超えて、地域や文化を超えて、愛され続ける染料「藍」は、私たち日本人の性質に影響を与えているに違いないのです】

すべてを受け入れて、それに染まる藍染のような日本人の特性……。

なにか説得力がありますねぇ。(-_-;)

pari 記

 

Twitterボタン