ハートの領域の強い痛み(モーガン・フィッシャー)

人間には視覚型、聴覚型、触覚型の3種類の人間がいるそうですね。

もちろん、統計的な研究を伴うような話ではないでしょうが、たとえば好きな芸術分野とか娯楽を考えても、視覚的な映像的・絵画的作品が好きな人、音楽作品など聴覚的な作品に惹かれる人、身体の動きを伴う演劇や舞踊のような分野に惹かれる人といった、人間のタイプはありそうな気はします。

そしてそれぞれの人が、自分の好みや才能といった特性に突き動かされながら、その他にはありえない独自の人生を歩んでいるんですね。

考えてみれば、この惑星上には70億もの人間がいるわけです。

今ちょっと考えてみたのですが、幅10メール、長さ70メールの巨大な絨毯があったとしたら、そのなかの縦横1ミリメートルの正方形が、70億分の一の面積です。(もし間違っていなければですが)

この縦横1ミリメートルの一点が、一瞬一瞬の思いや願いを抱え、それぞれの幸福を求めて百年に満たない人生を懸命に生きているのですね。

話が横道にそれてしまいました。^^;;

視覚型とか聴覚型という話をしましたが、モーガン・フィッシャー氏は押しも押されもせぬミュージシャンなので、間違いなく聴覚タイプの芸術家なのだと思いますが、でも「光の画家」という側面も開花させた方で、その意味では視覚タイプの方でもあるようです。

その彼が今回の話題で触れているのは、彼の音楽性を自由に表現するには「ハート」のポータルをつねに開いておく必要があったのだそうです。


そして今回明かしてくださるのは、彼の「ハートの鋭い痛み」というとても不思議なお話です。

その痛みに対する彼の対処の仕方は、じつに見事なものでした。

本当に一人ひとりがユニークな現象なんですね。

では光の画家モーガン・フィッシャーの記事「ポータルとしてのハート」から、彼が「ハートの鋭い痛み」に触れている箇所をご紹介しましょう。


30年ほど前に日本に来てから、私はますます純粋な即興音楽、つまり新しい音楽が私のハートのポータルを通して、他の人々にわかちあわれるのを許すことに集中するようになっていきました。

そして、何年も活動しているうちに、私は音楽が自由に流れるようにするためには、このポータルが定期的に使われなければならない筋肉のようなものだと感じるようになりましました。

そして実際の筋肉のように、ときにそれは硬くなったり詰まったり、また痛みが生じることもありうるのです。


私が、この不慣れな痛みを感じた最も明確な例として思いだすのは、1983年、日本に来る一年ほど前のことです。
私はオレゴンのラジニーシプーラムで、何ヶ月かを過ごしていました。

この強烈な時期、私はたくさんのセラピー、ワークショップや瞑想コースを通り抜け、何回かOSHOのために音楽を演奏していました。

その日々、私はかつて感じたことのない痛みを体験しました。
多くの人と同じように、私は自分のハート(私の体験では、正確に胸の中心に位置していました)で、落ちこみや悲しみを感じることがありました。
しかし、この痛みはより鋭く、きわめて明確に説明できました。
それはナイフの傷のように感じられ、しかも、毎回その痛みが来るたびに、その正確な幅と深さと角度を感じることができました。

ですが、私にはこの痛みが肉体的なものではないことがわかっていたので、医者に診てもらうことはありませんでした。
そして、自分の過去世から来たものかどうかを確認することにもまったく興味がなかったのは、それを確かめる方法はないと感じたからです。
私は自分が見たなんらかのビジョン、自分が再発見したなんらかのフィーリングや記憶を、「信じ」なければならないでしょう。
なぜなら、私はいかなるビジョンや宗教、哲学の「信仰者」でもないからです。
私は、自分にとって100%現実であるものだけを受け容れるリアリストだと思っています。
ですから、私にとってこの痛みは、分析を要する神秘的な出来事ではなく、ただ受け容れる必要がある純粋でシンプルな出来事でした。

それからしばらく経って、その痛みは消え去りましたが、私は以前よりも傷つきやすく、オープンで、繊細に物事を感じられるようになったのです。
そして、さらに「今ここ」につながるようになりました。
1988年、私は「Peace in the Heart of The City」(日本語タイトルは「都市生活者のための音楽」)というアルバムを出しました。

このアルバムを作っている間、私は多くの時間を東京にある自分のスタジオで、独りで過ごしました。
自分が霊感を感じていなければ、下北沢の辺りを散歩したものです。

ときには自分の音楽的な不毛感を、ハートの領域で強い痛みとして感じることがありました。
長い時間散歩をしたあとで、私はその痛みが去るだろうという希望をあきらめて、スタジオに戻り、絶望のなかで演奏をはじめたこともあります。

「ポータルとしてのハート」より
      『リビング・エナジー』Vol.9(p37-38)



【私にはこの痛みが肉体的なものではないことがわかっていたので、医者に診てもらうことはありませんでした。
そして、自分の過去世から来たものかどうかを確認することにもまったく興味がなかったのは、それを確かめる方法はないと感じたからです】

【ですから、私にとってこの痛みは、分析を要する神秘的な出来事ではなく、ただ受け容れる必要がある純粋でシンプルな出来事でした】

じつに見事ですね。

pari 記

 

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