エーテル体の裂け目(エーテルギャップ)について
「マイクの質疑応答」より マイク・ブース
世の中には霊能力というものが存在するようですね。
生命体の現象に関して、普通人は通常知覚しないような現象を何らかの形で知覚してしまう能力のことです。
もちろん、その能力を持つ当人がそのような能力を望んだということではなく、なぜか資質としてもともとそういう能力を持っていたということでしょう。
比較的に言うなら、たとえば、人の気持ちがよくわかる人もいますし、人の気持ちがさっぱりわからない人もいますから、察知能力には個人差があるものです。
霊能力とは、そういう察知能力がちょっと通常の範囲を超えて何らかの方向に発達した場合と考えられるかもしれません。
現象世界とは知覚される世界という意味ですから、普通人に知覚されないものが知覚されるなら、それはある意味では知覚範囲が拡大しているとも考えられます。
では霊能力を持つ人が、通常人よりそれだけ現象世界での自由度が高まるのかと言えば、一概にそうとも言えないでしょうね。
それはその人が持つ霊能力によるのかもしれません。
“霊媒体質”などという言葉がありますが、必ずしもそういう資質を持った方がこの世での自由度が高まるわけでもなさそうです。
かえって、通常人にはわからない苦しみを受けたりすることもありそうです。
きっとそういう能力にはその能力を開発した人々の性格や願いや志のようなものも付随していて、そういうものを霊格と言ったりするのかもしれませんね。
オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォール女史は霊体質の方でしたが、その後継者のマイク・ブース氏もまたそのような体質をお持ちだったようです。
エーテル体のギャップについて尋ねられたマイクは、自分の個人的体験を交えてその質問に答えています。
では「マイクの質疑応答」から、マイクがその辺りに触れている部分をご紹介しましょう。
—————————————————————— 質問 エーテル体の裂け目(エーテルギャップ)について説明して下さい。
マイク 私自身の経験をお話しますと、私は11才の時、左足をバスに轢かれました。 その時の私には感覚がありましたが、部分的に昏睡状態に陥り、話したりコミュニケーションをとったりすることはできませんでした。 しかし周りで起こっていること全てを見たり聞いたりすることができました。 私は肉体のすぐ近くにいましたが、肉体の中にはいませんでした。 病院に担ぎこまれ病室に寝かされました。 空きベットのあった唯一の部屋は、老人病室でした。 私はまだ半ば昏睡状態にあり、肉体の近くに漂った変性意識状態の中で外界とコミュニケーションが取れませんでした。
その時私が経験したことなのですが、真夜中私の向かいのベットに寝ている老人のベットの上でバスケットボール程のボールが跳ねているのです。 何度か跳ねたあとベットから床に落ち、病室の隅まで行ったかと思うと再び彼のベットまで戻って来たのです。 それから一瞬彼の体の左側ヘと消えたと思った途端に再び彼の頭部のあたりに現れ、今度は窓の外へと消えてしまいました。 後に私はそれが人の死を意味するということだと知りました。 これは私にとって、誰かが死ぬのを目撃した初めての経験でした。
ヴィッキーも大戦中救急車を運転していた時、トラウマ的な出来事の中で人が死ぬ現場に立ち会い、同様の経験をしています。 彼女がロンドンの爆撃現場に急行すると、最後の息をしている人がいました。 トラウマ的な死においては生命エネルギー(意識もしくは魂)は、口腔からではなく体の左半身から抜けてゆくのです。 これは彼女の体験でした。 このような体験から私たちは、骨盤と第一肋骨の間のこの部分をエーテルギャップと呼ぶようになったのです。
『リビング・エナジー』Vol.2(p80-81) ——————————————————————–
そういうことだったんですね。
「トラウマ的な死においては生命エネルギー(意識もしくは魂)は、口腔からではなく体の左半身から抜けてゆく」……。
オーラソーマの「エーテルギャップ」という概念は、ヴィッキーさんとマイク・ブース氏のそのような体験を根拠にしていたんですね。
pari 記
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