真のヒーラーがいかに稀有な存在であることか!:「まあ、よかったですね」

ヴィッキーさんに与えられていた天賦の才は、当然のことながら肉体として誕生したヴィッキーさんが望んだものではありませんでした。

それは少女時代のヴィッキーさん自身にとっては、それしか知らない自分の普通の状態ですから、それが他の子供たちが持っていない能力であることなど知る由もありません。

いずれにせよそれは、ヴィッキーさんが予期したものでも期待したものでもなかったわけです。

少女時代のヴィッキーさんが、はじめてヒーリングの媒体として機能することになった場面は、そのときの彼女自身にとってはどちらかというと望ましくはない状況、少女の彼女が避けたい状況でした。

ヴィッキーさんのその後の人生でも、彼女のヒーラーとしての能力が表現された状況はすべて、自ら望まぬ状況として彼女に降りかかってきたものだったでしょう。

そして、そのような経験を重ねるうちに、ヴィッキーさんは自分のそのような能力が使われる状況に際したときの、自分としての対処のマナーを身に着けていったようです。

それはおそらく、全体が自分の能力を使おうとしている、ここは自分の都合はいったん脇において、自分の能力を必要としている人のために空っぽの媒体として機能すべきときなのだ、といったような判断だったのではないでしょうか。

そのような体験を重ねるうちに、ヴィッキーさんはそのような特殊な能力を持たされた者としての、真のヒーラーとしてのあり方を自然に確立していったのでしょう。

今回の箇所でヴィッキーさんが明かしている挿話は、真のヒーラーとしてのあり方というのはそういうものなのかもしれないと、一般人である私たちが納得せざるをえないようなお話です。

そのときヴィッキーさんは、ただ全体が機能するための媒体になっているだけです。

そのプロセスはしかし同時に、ヴィッキーさんの自我意識を必然的に洗い流し浄化する働きをも果たしていたに違いありません。

なにか“女性性”の最良の表現形態を見せていただく感じですね。

では、ヴィッキーさんが紹介している、小さな挿話をご覧ください。


まず最初にお話しようと思うのは、私がグレート・ミッセンデンでセラピストとして奮闘していたときのことです。
その村には、伯爵から農場の労働者まで、さまざまな階層の人が住んでいましたが、私は、やってくる人たちとの心の触れ合いをつくりはじめていました。
彼らは、私が親身だということを知ったのです。

ある朝のこと、ある大きなお屋敷に奉公している、つつましいX夫人がやってきました。
彼女は椅子に掛けましたが、いつもの笑みやくったくのなさがまったく見えず、気が塞いでいるようでした。彼女が落ち着くのを待って、私は慎重に口を開きました。

「Xさん、調子はいかが」

私がふと顔を上げると、彼女の目はみるみるうちに涙で潤んできました。

「実は、大変なんです、ウォール先生」彼女は言い、涙は今や頬を伝って流れ落ちています。
私は手を動かすのを止め、彼女の言葉に注意を集中しました。

「目の調子が悪くて診てもらってたんですけど、どうも白内障で、手術が必要らしいって言われて」
そこで、ごくりと唾を飲み、
「目をどうかするなんて怖くて。とても耐えられそうもありません」

彼女はほんとうにおびえて震えていました。
一人暮らしで、胸の内を分かち合う人もいないのでしょう。
私は胸が一杯になりましたが、ともあれ、そうして話をしたことで、彼女も少し落ち着いたようです。

支度がすむのを待って、私は杖を手にし、入り口まで彼女を見送りましたが、どうやら目の具合は、相当悪くなっているようでした。
その夜のこと、私は瞑想と祈りのなかで、彼女を抱きかかえ、天のヒーリングの流れに身を浸していました。
美しいブルーの光が彼女をふんわりと包み込むのを見届けると、私はそっとその場を離れました。



それからも私は祈りのたびに彼女を胸に抱いていましたが、そのたびに美しいブルーの光が彼女を浸したのです。

そして1ヶ月後、彼女の名前が予約名簿に載っていました。
ドアベルが鳴り、出てみると、なんとX夫人は杖も持たず、にっこり微笑んでいます。

「どうお思いになります、ウォール先生」その声のはずんでいたこと。

「ドクターも説明ができないって言うし、私にもわけが分かりませんけど、突然また見えるようになりましてね。もう手術しなくてもいいんですって!」

「まあ、よかったですね」

私もにっこり微笑み、心のなかで感謝の祈りを捧げたことは、言うまでもありません。

オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p250-252)


 

その女性の話をヴィッキーさんが“胸が一杯になる”思いで聴いているからこそ、その女性に癒やしが起こっているのでしょうね。

そして夜の瞑想のなかで、この患者さんのヒーリングを願う。

そして彼女が治癒したことを聞いて、「まあ、よかったですね」と喜ぶ。

完璧だなぁ……(-_-;)、と思うと同時に、真のヒーラーというのがいかにありえないほどの稀有な存在であるかも知らされます。

pari 記

 

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