新たな「天のひと突き」

新たな「天のひと突き」
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「7 じっとたたずむ時」から                         ヴィッキー・ウォール
        一つひとつの人生が物語ですよね。
山あり、谷ありです。
今の童話はよく知りませんが、昔の童話などには、そして王子様とお姫様はめでたく結婚して、ずっと幸せに暮らしましたとさ、というような終わり方をするものもありました。
ということは、その後の幸せな人生は“物語”の一部にはならないということです。
だって、「ずっと幸せに暮らしました」などという内容は、物語には仕上げられないからです。
たとえ、とても幸せな内容の物語であったとしても、物語にするには少なくともいくらかは、ハラハラ・ドキドキする場面が無くてはならないでしょう。
「ずっと幸せに暮らしました」という内容は、最後に「ずっと幸せに暮らしましたとさ」とか言って、終わる以外にはないわけです。
いずれにしろ、人生いろいろ、山あり谷ありです。
まるでお伽話のように美しい“キングランサム”でマーガレットと二人で繁盛するクリニックを開いていたヴィッキーさんですが、この本の中ではそこでの日常を描いた記述はありません。
当然ですよね、それは物語の主要な部分ではないからです。
山がつづいたら、今度は谷が現れなければならない。
その山が高ければ、また谷もそれだけ深かったりするんですよね。
ヴィッキーさんに新たな「天のひと突き」が来たようです。
        ——————————————————————–                     もしも私たちが、あふれる配慮とともに                   じっとたたずむ時を持たないとしたら、                           人生とは、いったい何だろう                        ウィリアム・ヘンリー・デイヴィス                           (イギリスの詩人1871-1940)
一九七三年に、新たな「天のひと突き」がありました。
休暇でマヨルカ島へ出掛けていたときのことです。 そこは、一度ならず私が不運に見舞われたところで、そのとき私は、重い冠状動脈血栓を起こし、心臓の機能のほとんどを失い、危うく命を落とすところでした。 三、四日、生きるか死ぬかの戦いをしている間、マーガレットは病院で辛抱強く付き添ってくれました。 徐々に私は持ち直し、飛行機でイギリスに帰って、地元の病院でさらに治療を受けることになりました。
家に着くと、私は二階の寝室まで担ぎ上げられ、少なくとも、三、四か月は階段を昇り降りしてはいけないと宣告されました。 打ちのめされ、弱り切った私は、ベッドでの生活を余儀なくされたのです。 内なる声が、ラッパズイセンが咲く頃にはよくなると告げ、私はそれを信じました。
私のベッドルームには、壁一面の巨大な見晴らし窓があり、そこから緑の牧草地やとうもろこし畑が、遥か遠くまで、まるでパッチワークの模様のように広がっているのが見渡せました。 一番手前の畑は、建物からほんの数メートルの庭の先で、境界には、申し訳程度の針金の柵があるだけでしたから、まるで、庭がそのまま畑へと伸びているかのような錯覚を覚えました。
ベッドに横になりながら、私は回想と観察にふけりました。
忙しいクリニックでの日々には、こうした孤独で平和な時間を持ちたいと、どれほど願ったことでしょう。 それが今、願った形ではないにしろ、実現したのです。 当時は面会も許されず、マーガレットは私を長い間一人にはしておけなかったので、自分の患者をクリニックから連れてきて、家で診察していました。
マーガレットが毎日定期的に訪れる以外には、私は完全に一人で、存在する時間はすべて自分のものでした。
ですから、荷車がゴトゴトと小道を行き来したり、畑での忙しい一日を終えたトラクターが、ポンポンと私の窓辺を横切っていくのを見るのは、それはそれは大きな見ものだったのです!
      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p59-60)
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「冠状動脈血栓」……。
心臓が詰まりかけたということですから、大変なことですよね。
静かに独り内省の時間を過ごすしかないのでしょう。
するとまったく違った時間が現れるのかもしれません。
pari 記
       
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