コーラルの相互保全 クローディア・ブース
ふだんの生活で意識することは少ないとはいえ、私たち人類がこの惑星の表面に生息する地球生態系の一部であることは、今ではほとんど誰もが知っています。
とはいえ、人間が地球人類となって、一種の共通認識を持ちはじめたのは、ごく最近のことですよね。
そうなったのにはいろいろの理由はあるでしょうが、近年急速に発達した情報伝達能力や移動能力の拡大によって、感覚的に地球が小さくなったということがあるでしょうね。
なにしろ、それまで手当たり次第に掘りだしていた地球資源に限りがあることがわかってきたわけです。
生活のなかから好き放題に出していた汚染物質やゴミが陸や海に溜まって、その結果が誰の目にも見えるようになってきた。
こうなっては無視しようにも無視できません。
人類は自分の生存環境が無限に大きいわけではなく、惑星地球という有限の生息圏であることを知ってしまったわけです。
だから今では、少なくともいわゆる先進諸国と言われるような地域の住民に、「地球がどうなろうと自分が生きられればそれでいい」なんて大胆なことを言える人はいなくなったわけです。(*^_^*)
だって、それではバカげていますものね。
じゃ、それほど賢くなったわれわれは、ふだんの日常生活で生存環境である地球生態系のことを意識しながら生きているかとなれば、これはちょっと疑問ですよね。(^_-)
地球生態系なんて、もちろん大切なことはわかるけど、そういうことは政府とか学者とか企業リーダーが考えることで、自分にはなにしろ毎日の生活があるから、ということになると思います。
こういう話が生活レベルの感覚にまで降りてくるには、それなりに手間ひまがかかるんですよね。
今回ご紹介する記事で、クローディア・ブースが語っていることは、そのような日常生活感覚としての環境問題なのだと思います。
では彼女の記事「コーラルという色について」から、クローディアがそのあたりに触れている部分をご紹介しましょう。
■ コーラルの相互保全
母なる地球を思いだし、彼女の仕事を少し楽にすること――それは、法律で達成できることです。
私はコミュニティがウィンドファーム(風力発電地帯)に反対なのを知って驚きました。
推測するに、この人たちは自分の家の玄関に、むしろセラフィールド(*訳注)やチェルノブイリのようなものを望んでいるのでしょう。
*訳注:使用済み核燃料の再処理工場を多く保有する英国セラフィールドの核廃棄物の再処理施設。
ここからの放射能物質の大量漏洩が最近問題になっている。
それが、政府が望んでいる選択肢です。
私たちはそれを待たねばならないのでしょうか?
それともウィンドファームや有機食物を提言して、一石を投じることができるでしょうか?
ですから、おそらくコーラルは私たちの根に関わるものでもあるのです。
どんな種類の土壌の中に根はあるのでしょうか?
それは急激に農薬汚染されつつあるのでしょうか?
また、それは私たちの葉にも関係します。
私たちの肺はなにを吸い込んでいるでしょうか?
感情的に、私たちの根は、なにを栄養としてきたのでしょう?
それになにか新しい堆肥の栄養をやるべきときでしょうか?
室内用の鉢植えの植物は、頻繁に別の鉢に植えかえる必要があります。
私たちは、古い堆肥にかかずらう必要はなく、どんなカタルシスワークをする
必要もありません。
自分の存在にポジティヴな感情と思考と体験を与えてやればいいだけなのです。
ですから、自分の肺に新しい息を満たすとき、再び根から上昇するなら、私た
ちは新しい生命を満たしていることになるのです。
息を吐くとき、私たちは自分を取りまく透明な光の青い球体を視覚化できます。
そして、自分たちを平和で取りまくすべてのものに手を伸ばして触れながら、
私たちはそのブルーに到達するのです。
これは平和であり、思いやりであり、またコーラルの相互保全の一部でもあります。
写真にある、レッドウッドのなかの顔が見えますか?
沈みゆく太陽が彼女の顔にすばらしいコーラルの輝きを投げかけています。
『リビング・エナジー』Vol.6(p121-123)
【母なる地球を思いだし、彼女の仕事を少し楽にすること――それは、法律で達成できることです】
たしかに、そうとも言えるんですけどねぇ。(-_-;)
しかし、現在のイギリスのEU離脱問題での迷走を考えても、そう簡単にまとまれるものでもないようですね。
分離幻想の煙幕を思考で突破するのは本当に難しいことです。
誰が悪いなどと、言える人がいるのでしょうか?
pari 記