世界有数の色彩大国・日本
「日本の色とオーラソーマ」より 鮎沢玲子
このごろ、よく思うんですけど、これから日本の文化が地上世界をリードしていくことになるんじゃないでしょうかね。
大衆的消費文化の洗練度となると、ちょっと今の日本国民がもっている洗練度に追いつくのはそう簡単ではないように思います。
何の根拠もない、ちょっとした感じですけどね。(^^;)
まあ、そういうタイミングが来る前に、ちょっと通過儀礼みたいな自然災害があるのかもしれませんが。
そしてそういう時代がこの地球に訪れたらの話ですが。
味覚とか、色彩感覚とかいったものの洗練度は、DNAと条件づけのどちらも関係があると思います。
開発することもできるけれども、最初からもっている人はもっているわけです。
昔、太平洋戦争に日本が負けて、アメリカの進駐軍が日本にやって来ました。
そして、進駐軍の軍人さんたちが、これはという目ぼしい住宅を召し上げたり、間借りしたことなどがあったそうです。
そして、これから住もうとするそういう家の外装や内装を、アメリカ風にペンキ塗りしたそうなんです。
元の家主や大家さんとしては、堪ったものではありません。(>_<)
これまで大切にしてきた大事な大事な床柱に、黄色や空色のペンキが塗られたりしたわけですから。
泣く泣く我慢するしかなかったそうです。(;_;)
でも、進駐してきたアメリカ軍人さんの目には、日本の床柱はあまりにも地味で渋すぎて“貧乏臭かった”んでしょうね。
でも、それは今となっては大昔の話になってしまいました。
最近では、日本のそういう色彩感覚が、尊重される時代になってきました。
そして、その目で見れば、日本の渋い色使いにはそれなりの洗練された美的感覚があることも、理解されるようになってきたわけです。
日本のそういう文化の凄さは、それが必ずしも殿様方の世界の趣味というだけでなく、江戸時代の町人文化の成熟を通して一般庶民の美的感覚の世界にも入り込んできていたことです。
美的感覚の世界での趣味にも、ある程度の客観的レベルというものはあるだろうと思います。
その世界に入り込めば、どちらがより洗練されているか、同類の間では客観的な判断基準がありうるわけです。
素人には区別がつかなくても、ショパン国際ピアノコンクールの1位の人の演奏と2位の人の演奏には、審査員たちには無視できない客観的な差があるようなものです。
そして、色彩感覚や味覚の世界では、日本人大衆の洗練度はかなり高いのかもしれません。
もっとも、これは日本人大衆の一人が言うことですから、あまり信用してもらっても困りますが。(^_-)
というわけで、今回は日本人の色彩感覚についての記事をご紹介しようと思います。
たまたまですが、記事を書いてくださっているのは昨日に続いて、染物屋さんという日本の色彩感覚の中心で成長された鮎沢玲子さんです。(^^;)
では、鮎沢さんの記事「日本の色とオーラソーマ」から、そのあたりの雰囲気を伝える内容をご紹介しましょう。
—————————————————————— 千を越える色の名前を有する日本という国
一斤染、退紅、朱鷺色、桃染、撫子色、東雲色・・・これらはすべて、「ピンク」を表す日本の色名。 ひとくちに「ピンク」といっても、さまざまな名前とその由来があります。 日本は世界でも有数の、色名の多さを誇る「色彩大国」です。 ある調査によれば、日本には千以上の色名が存在し、それは世界でも稀なことだそうです。
色の名前の多さは、日本の絵画芸術はもとより染色・織物などの服飾文化、工芸、文学作品やさまざまな文化における成熟度と関係が深いと言えるでしょう。 それはいにしえの日本人にとどまらず、近年の日本のアニメーションを見ても、色づかいの見事さには感心するばかりです。 色彩に対する感性の豊かさ、繊細な色を見極める目を、私たち日本人は今も昔も持っているのです。
今日の日本におけるオーラソーマカラーケアシステム(R)の普及、浸透の理由として、日本人の豊かな色彩感覚がひとつの要因になっているのではないかと思います。 イクイリブリアムボトルの色彩の美しさに魅せられ、奥深いオーラソーマの世界に足を踏み入れた私もそのひとりです。
ところで、私自身のことを少しお話ししますと、私は代々染物屋を営む家の長女に生まれました。 家族の会話には日本の色名がたびたび登場し、子どもの頃の遊び道具は染物の色見本帳。 いらなくなった見本帳をもらっては、たくさんの色を眺めて遊んでいました。 そんな私がオーラソーマと出会って「こんなに美しい色を毎日見て過ごしたい」と思うのはごく当然のことでした。
……(中略)……
巧みな色の言語を持つ国・日本
ターシェリーカラーの色の言語を日本の色名や日本の文化と重ねて考えてきました。 私はあらためて日本文化における色の重要性や豊かさを感じることができました。 しかも声高に語る色の言語ではなく、ひそやかな言葉でもあります。
ひとつ例をあげれば、江戸時代に幕府から「奢侈(しゃし)禁止令」というものが幾度となく出されました。 金銭的に豊かになりはじめた庶民が華美な服装をするのを禁じた法令です。 しかし江戸時代の人たちは、着用を許された色(茶色・鼠色・青など)の中で、たくさんの流行色を作りだします。 そのバリエーションの豊富さから「四十八茶。百鼠」と呼ばれたほどです。 制限された色の範囲の中で、微妙な違いを繊細に感じ取り、また豊かに表現する力を養っていったのです。
2011年3月11日を境に、私たちの国は今、たいへんな事態に直面しています。 こんなときだからこそ、思いだしてほしいのです。 何度も何度でも立ち上がる国の住人であることを。 日本の色は、私たちにその智恵と力があることを教えてくれています。
『リビング・エナジー』Vol.7(p70-71)
——————————————————————–
なるほど。
抑制された日本人の色彩感覚が、もしかすると江戸時代に幕府から出された【「奢侈禁止令」】と関係があったかもしれないとは、とても面白いですね。
そういう体験が、DNAのなかにも刻印されていくのかもしれませんね。
pari 記
Twitterブログパーツ