20%のエネルギーで生きていても

20%のエネルギーで生きていても
「サミエル102 ディープオリーブ/ディープマゼンタ               マイク・ブースからのさらなる考察」からの抜粋
        通常人間は自分本来の能力のどれくらいを使っているものなんでしょうね?
肉体的力についてすら“火事場の馬鹿力”という言葉があるくらいですから、制限的なマインドを取り払った状態から発揮される能力は、想像以上のものがありそうです。
とはいえ、いつも“火事場の馬鹿力”を出しているわけにもいきませんけどね。(^_-)
そんなことをいつもしていたら、身体はすぐにガタガタになってしまいます。
その意味では、“火事場の馬鹿力”とは非常事態だからこそ思わず発揮される力です。
身体能力だけでなく、精神的能力もいつも限界まで酷使していては、すぐに“燃えつき症候群”に見まわれてしまうでしょう。
ですが、ここでミソは、この“限界”とは自分が想定している“限界”の意味でもあることですよね。
それは、「これが自分の限界」という“ブレーキ”に対抗してアクセルを踏む、いわば“アクセル・ブレーキ状態”での限界とも言えそうです。
もしエネルギーの流れが整合してくると、それとはかなり違ったことが起こるのかもしれませんね。
マイク・ブース氏の言によれば、光の身体を実現するという目的の要求水準からすれば、われわれは本来のエネルギーの20%しか使ってはいないそうです。(^^;)
今回ご紹介するのは、「サミエル102」が誕生して間もない頃のマイクのティーチャーズアップデイトからの抜粋です。
マイクの高揚感が伝わってきます。
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私たちは、異なった視点から生きることを要求されています。 これはどういう意味でしょうか?
私たちは現時点では、自分のエネルギータンクで、ほんのわずかの燃料だけを使って生きています。 たぶん私たちは、十全に生きた場合の20%ほどのエネルギーで生きているでしょう。 私たちに要求されているのは、自分自身を光の存在へと変容することです。 私は信じていますが、誰もが、歩きながら、その手や肉体から光を発することが可能です。
これについて、どうやって自分自身を小さな光の存在にするかについて、私たちは目を向ける必要があります。 私たちがもっと力を発揮して、オーラソーマがよりよい方向へと示しているもの、光の存在へ向かう方向性を示しているものへと向かい、物質的な存在としての自分を強化せずに、物質的な形体の中に宿る光の存在となれば、より多くのことが変容し、物質性という外皮に抑えらなくなり、そこに留まる必要もなくなるでしょう。
サミエルは、生においての経験全体を救うためにあります。
私たちは、自分のエネルギータンクでもっと力いっぱい燃料を使い、精一杯生への情熱を燃やしながら生を生きていけるようになるでしょう。 それこそが、サミエルと出会うことによって生まれることです。
十全に生きた場合の20%のエネルギーで生きていても、あなたがここにいるための意義を達成できません。 そして、あなたが無理やり推し進めることはできません。 あなたにできるのは、ただ自分があるがままの姿であるのを許すことだけです。 自分にあるがままの姿であるのを許せば、生のエネルギーは、解き放たれ、あなたの中を流れます。
その時点で起こるのが、100%全体のエネルギーと、そこから80%減らされた20%のエネルギーとの違いです。 エネルギーはどうやって減ってしまうのでしょうか? 物質性にとらわれること、安全を確保するための心配、内側に潜む恐怖の難しさ、これらすべてが、エネルギーを本来のものから奪い去っています。 潜在意識と無意識のマインドでエネルギーは奪い取られ、生への力が吸収されてしまいます。
十全に生きること、全体としての生を生きること、もっとダイナミックな観点で生きることです。 もし私たちが自分自身のありのままの姿でいられれば、自分のエネルギータンクの燃料の力を十分発揮できるでしょう。 瞑想の役わりのひとつとして、神経症的、精神病的状態を超えること、内側にある安らぎの場所へ向かうことがあります。 エネルギーが、神経のパターンや神経エネルギーへと転化されなけば、私たちはもっとたくさんのエネルギーを発揮できるはずです。
瞑想的な状態へはいることは、そういった神経症的、精神病的パターンと関わりあいながらくつろぐことでもあります。 瞑想において、根本的に、反動として起こることですが、頭の中でのおしゃべりの流れの中で、神経症的、精神病的状態がはっきりと明らかになります。 頭の中に、この状態が存在しているのです。
そこから抜け出すにはどうしたらいいでしょうか? 瞑想的なアプローチへ、内なる安らぎへ向かいましょう。 内なる安らぎを見出すことによって、私たちは内なる喜び、そしてその安らぎの中にある知恵を見出します。

                 『リビング・エナジー』Vol.5(p107-108) ——————————————————————–
なるほど。
「エネルギーが、神経のパターンや神経エネルギーへと転化されなけば」……という言い方がされています。
エネルギーが“考えること”へと流れ込まなければ、ということなのでしょうか。
そのためには、「内なる安らぎへ向かいましょう」と。
pari 記
     
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