藍のロイヤルブルーと黄金色のゴールド(鮎沢玲子さん)

豊かさってなんなのでしょうね?

このことをほんとうに身にしみて感じるためには、人間は一度比較するマインドから出てみる必要があるのかもしれません。

そうでないと、いつまで経っても、人との比較のなかでの豊かさを追いかけているようなことになってしまうのではないでしょうか。

ところが比較のなかの豊かさというのは、マインドのなかにしか存在しないわけですから、実際は止めどのないものなんですよね。

どこまで追いかけても、一生を費やしても、比較優位の豊かさのゴールに到達することなどありえないわけですから。

昔の日本人に比べるなら、わたしたちはある意味では比較にならないほどの豊かさに達していてもいいはずです。

ところが実際は、さて、江戸のころの日本人の豊かさを、現代のわれわれは満喫しているかなあ?(-_-;)

鮎沢玲子さんの記事を読んで、そんなことを思わされました。

江戸時代のお百姓さんたちにとって、豊かさの象徴は稲穂の黄金色だったみたいですね。

では鮎沢さんの「日本の色とオーラソーマ」の記事から、そんなことに触れた部分をご紹介しましょう。


■ 藍のロイヤルブルーと黄金色のゴールド

日本に帰化した作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は明治時代、初めて日本を訪れたときの印象を、こんなふうに随筆に書いています。

「青い屋根の小さな家、青い暖簾(のれん)の掛った小さな店、青い着物を着て微笑んでいる小さな人たち。
 すべてが神秘的で、妖精の国を思わせる」

ハーンが見た青い着物や暖簾とは、「藍」で染めた色でした。
藍の染料は古代から世界中にありましたが、桃山から江戸時代にかけて、日本では藍染めが他に類を見ないほどの発展を遂げたのです。
ですからこの時代の日本の街並みには、藍で染めた青色が溢れていました。



オーラソーマのロイヤルブルーは、日本においては藍染めの色です。
老舗であるとか、伝統や格式がある店のことを「古い暖簾」という言い方をしますが、これはまさにロイヤルブルーの権威や信頼を表しています。
実際に暖簾にはロイヤルブルーがよく使われています。
また江戸時代には職人や商人の仕事着として、店主が従業員に紺地の法被(はっぴ)を着せるのが流行りました。
背中に店の屋号や紋などを染め抜いた、言わば看板でもあり、制服でもありました。
今も「制服」というと、ロイヤルブルーのような色が多く使われています。
忠誠心やまじめさ、誠実さ、信頼といった色の言語があてはまります。

もう少し時代をさかのぼってみると、戦国の武士たちの間で人気があったのが、黒に見えるほどに濃い藍染め……それが褐色でした。
茶系の褐色(かっしょく)とは別の色で、「かちいろ」と読みます。
藍を何度も染み込ませるために布を叩く(衝く)のですが、その動作を「かつ」と言ったところから、戦いに勝つことに通じる名前「かちいろ」と呼び、鎧の糸や武具などに使われたそうです。
質実剛健な武士の色として好まれました。
ここでもやはり武士の権威や高い志、主君に対する忠義信頼などのキーワードに通じます。

一方、補色のゴールドはどうでしょう。
日本の色名で言えば「黄金色」がぴったりです。

現在ではあらかた掘り尽くしてしまったそうですが、かつての日本は金の産出国でした。
大航海時代、マルコ・ポーロの「東方見聞録」によって日本が紹介され、黄金の国「ジパング」を求めて欧州から外国人たちがやってきました。
金箔を貼った建物や仏像などを見たマルコ・ポーロは、日本を非常に豊かな国だと思ったのです。
しかし実際のところ、黄金は一部の権力者や力のある神社・仏閣に用いられるだけのものでした。
ならば、民衆が手にする「黄金」とはなんだったのかと言えば……それは、たわわに実った稲穂。
それも年貢などで領地に納めなければならかったかもしれません。
しかし今も昔も、黄金色の稲が一面に広がるさまは、豊かさの象徴です。
日本人にとって主食であるお米がじゅうぶんに収穫できる喜びは、大きなものでした。

ロイヤルブルーが質実剛健な武士の色、古い暖簾の老舗の色だとすると、補色のゴールドは神社や仏閣など智慧と価値があるものの色。
またゴールドは、実った稲穂に象徴される豊かさの色です。

  「日本の色とオーラソーマ」より
  『リビング・エナジー』Vol.7(p76-77)
  


今の時代に生きる私たちにとって、豊かさと花んでしょうね?(-_-;)

もしかして、それは外側に探すべきものではないのかもしれません。

pari 記

 

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