ニューアース その7

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-/エックハルト・トール ¥2,310 Amazon.co.jp
「意識の鍵」であるオーラソーマを読み解くヒントとして、シリーズでお送りしています。
オーラソーマで「ニューアース」を読み解く。
あるいは「ニューアース」でオーラソーマを読み解く、とも言えるかもしれませんが、「意識の鍵」をつかむヒントとしていただければと思います。
今回は、第四章「エゴはさまざまな顔で、いつのまにか私たちのそばにいる」ということについて。
これまで見てきたところによると、エゴとは形との同一化、でした。
この章で、エックハルトは、エゴはどういう形として現れているのか、ということを説きながら、エゴに気づくヒントが解き明かされています。
なぜならエゴは気づくことによって、そのパワーを失ってしまうからです。
では、なぜエゴに気づく必要があるのでしょうか? 
それはエゴこそが私たちを不幸に陥れている源だからです。 ですからエゴに気づくことによって、私たちは不幸のために使っていたエネルギーから解放されて、幸せを手に入れることができる、というのです。
オーラソーマではエゴの色は黄色です。
でも、同時に幸せの色も黄色なのです。
「幸せの黄色いハンカチ」という山田洋次監督。 高倉健、倍賞千恵子の映画にもありました。
イエローのチャレンジの側面がエゴで、そのチャレンジを克服したときに幸せが訪れる、ということなのでしょう。
そして、そのチャレンジを克服する方法は、その「エゴに気づくこと」「今ここにあること」だとエックハルトは語っています。
では、詳しく見ていきましょう。
エゴはどのような顔をして私たちのそばにいるのでしょうか?
エクッハルトは次のように書いています。
誰かに優越感や劣等感を感じたとき、それはエゴが感じているのです。
同情や憐れみ、不満や侮辱された感じ、自己憐憫や被害者意識。 人生や他人や運命や神に不公平な目にあわされている自分と同一化したとき。 父であること、母であること、娘であること、先生であること、社員であること、上司であること、医師であること、患者であること、それらの役割はすべて社会的に果たす機能ではあるけれども、それらの役割を自分と同一化したとき、それはエゴとなります。
つまり、私たちがこの世界で果たす機能への自分同一化がいき過ぎると、機能や仕事が役割となり、その役割になりきってしまいます。
役割になりきってしまうと、無意識になってしまいます。 その役割が自分だと思ってしまうのです。
そうして完全に自分を役割に同一化してしまうと、その役割の行動パターンと自分とを混同してしまい、自分を深刻に考えてしまいます。 そうするとその役割がエゴの一部となってしまうのです。
そうなると単なる役割上の議論や考えの相違が生存をかけた争い、果ては殺し合い、自殺にまで発展してしまったりするわけです。
宗教戦争や国同士の戦争も、宗教の教義や自分の属する国に自分を同一化してしまっているから起こることです。 ほんとうは自分たちを幸せにするはずのものが、そのことに同一化してしまい、エゴの一部となってしまったがゆえに起こる悲劇です。
でも、「あ、自分は役割を演じているんだな」ということが意識できれば、自分と役割との間に距離が生まれ、そのことに深刻ではなくなり、役割にとらわれていたエゴからの解放が起こります。
子供を持ち、親となったときには、親としての機能を果たすことは大切です。 しかし、ここで大切なことは、親としての機能に自分を同一化して役割そのものにになってしまわないことです。
例えば親として必要な機能として、子供の必要を満たすことや危険な目に遭わないように保護すること、すべきことすべきでないことのしつけを行うことなどがあります。 しかし親であるという役割に同一化してしまうと、自分は親であるとしか見れなくなって本当の自分を見失います。
そして本来果たすべき機能も、やり過ぎて子供を甘やかしすぎてしまったり、過保護になって子供の自立心や冒険心を損なってしまったり、しつけがが支配になってしまったりします。
あげくのはてに、子供が成人しても親であることを諦めきれず、子供に必要とされたいというニーズが手放せなかったり、成人した子供を支配しよう、影響を及ぼそうとしたりして、親としての役割を維持しようとしたりします。
また子供を通じて自分がもっと完璧になろうとしたり、他者を操ることを通じて自分が感じ続けている欠落を埋めたいというエゴの欲求が子供に向かったりします。 それが教育ママで起こっていることです。
これらのエゴの行動パターンに気づくと、自然にそのパターンは落ちていきます。 その気づきがエゴからの解放となるのです。

ここで、エックハルトは忠告します。
だが、親がこの通りであっても、「あなたは無意識にエゴに捉えられている」などと親に言ってはいけない。 そんなことを言えばエゴは防衛体制をとるから、親たちはますます無意識に逃げ込みかねない。 あなたのほうが親の中のエゴを認識し、エゴと親とを区別すればいい。 エゴイスティックなパターンは、たとえ長いあいだ続いてきたものであっても、こちらが抵抗しないでいるとあっというまに消えることがある。 抵抗すれば、相手はますます力をつけるだけだ。 それに相手のエゴイスティックなパターンが消えなかったとしても、親のふるまいにいちいち反応せず、つまりそれを個人的に受けとめず、なるほどそう思うのかと穏やかに受け入れればいい。
エックハルトはここで、まさにエゴに対してどのように振る舞えばいいのかということのコツが解き明かしています。
しかも、親はあなたの外側にいるだけではないのです。あなたの頭の中に住んでいるのです。

そのことをエックハルトは次のように言っています。
気をつけた方がいい。
あなたの心に浮かぶ考えの中には、内面化されたこんな親や母親の声が混じっていないだろうか? 「あなたにはまだ足りないところがある。あなたはきっとろくな者にならない」 その他、似たような批判や見解がくすぶってはいないか? あなたの中に気づきがあれば、頭のなかの声の正体は過去に条件づけられた古い思想であると認識することができる。 あなたのなかに気づきがあれば、浮かぶ思考をいちいち信じる必要はなくなる。 それは古い思考、それだけのものだ。
気づきとは「いまに在る」ことを意味する。 「いまに在る」ことだけが、あなたのなかの無意識の過去を解体する。

エックハルトはエゴの構造をみごとに解き明かしています。 そして、それらに気づき手がかりを与えてくれています。
これに対してオーラソーマは、どのように対応するのでしょうか?
例えば、このような親との問題を抱えている人は、2番目のボトルにイエローの色を含んだボトルを選んでいるかもしれません。 自分のエゴの構造に気づくときなのかもしれません。 あるいはブルーの色(親の権威との葛藤)を選んでいるかもしれません。 または、親からの愛を必要としていて、それがピンクで現れていたり、コーラルの依存として現れているかもしれません。
オーラソーマでは、それらのことをエネルギー(色)として見ていきます。 エックハルトのようにクリヤーに言語化して意識的に見ることができなくても、それを色として、エネルギーとして感じていくことができるのです。
そして、その色を自分の身体に塗っていくプロセスのなかで、それらのエネルギーが本来のエネルギーとして変容していくことのなかで、これらの過去の傷が思い出されたり、ふとした気づきが訪れて、そして流れて消えていくことのサポートとなっていくのです。
尚 記
     
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