四つの約束 その1
四つの約束/ドン・ミゲル ルイス ¥1,260 Amazon.co.jp
オーラソーマは古代からの智恵の集積とも言われています。
ヴィッキーさんの言葉によると、「古いワインを新しい革袋に入れたようなもの」ということなのですが、色というキーワードの新しい革袋(オーラソーマ)のなかに、古代からの智恵が含まれている、ということなのでしょう。
別のいい方をすれば、オーラソーマのイクイリブリアムは「意識の鍵」です、といういい方がありますが、古代の智恵とは、人間の意識の扉を開ける鍵でもあるのです。
先日あるメキシコのシャーマンの人の教えを聞く機会がありました。
彼はメキシコのヒーラーの家に生まれ、ヒーラーの母親とシャーマンの祖父によって育てられ、彼はその家系の伝統、数世紀の歴史を持つヒーリングの智恵を統合し、秘教トルテックの智恵を発展させるべく期待されたにもかかわらず、医学を志し、外科医になります。
しかし、運命は逆らえないもので、彼は自動車事故に遭い、そこで臨死体験をし、幽体離脱の体験をします。
その体験に衝撃を受け、自己探究に目覚め、古代の祖先の智恵を身につけ、ヒーラーの母やシャーマンに師事し、研究を深め、今は自らメキシコのオティワカン(シャーマン)としてワークショップや講演を通してトルティックの秘教的智恵を人びとに授け、意識的進化のために活動している人です。
その人の名前はドン・ミゲル・ルイス。 『四つの約束』という本はスピリチュアル書として有名な「神との対話」を越えて、100万部を越えるベストセラーとなりました。
この本を読むと、まさにオーラソーマと同じ世界観、「人間は光から作られている」ということが書かれてあり、オーラソーマの理解に役立つ古代の智恵のひとつだと思い、紹介したく思いました。
古代の智恵、人類の叡智、悟り得た人たちの智恵というのはいつもそこには共通した叡智があります。
そして、ある一つの体験がその人の人生を永久に変えてしまったりするのです。
ある男の場合、その体験とは「私は光から作られている。私は星から作られている」「本当の私たちは、純粋な愛であり、光なのだ」という体験でした。
そして物質は鏡であること、全ては光を反射する鏡であり、その光によってイメージを創り出すのを見た。 すなわち、この幻影の世界、「夢」は、ちょうど鏡を覆う煙のようなもので、私たちの本当の姿を映すのを妨げているのである。
この認識が、その男の人生を変えてしまったのです。
「いったん、本当の自分が何であるかを知ると、彼はまわりを見まわして、そこで見たものに驚嘆した。 彼はあらゆるものに自分を見た。 あらゆる人間、樹木、水、雨、雲、大地の中に自分を見たのである。 彼は「生命」はトナールとナワールの異なった組み合わせによって、生命そのものの何百万もの形を顕しているとわかったのである。
男は、自分が人びとの鏡である、ということがわかった。 その鏡の中に、男は自分の姿を見るのだ。 「あらゆる人は、お互いの鏡である」 彼は、すべての人々の中に自分自身を見た。 けれども誰も彼のことを自分たち自身である、とは見ないのである。 彼がわかったのは、誰もが夢を見ている。 しかし夢を見ていると気がついていないということだ。 自分たちが本当は誰であるのか、知らないままに夢を見ているのだ。 人々が彼を見ることができないのは、鏡の周りに霧や煙の壁を張りめぐらしているからだ。 こうした霧の壁は、光のイメージの解釈から成り立っている。 これが人間の「夢」なのである」
このようにして、私たちは、昼も夜も、起きているときも、眠っているときも、今見たり聞いたりしていることも、すべて夢なのです。
では、その夢はどのように作られるのでしょうか?
それは「人間の飼い慣らし」のプロセスによってすべての信念システムが形成され、それが夢を形成する、とミゲルはいいます。
「子供は、大人の言うことは何でも信じる。私たちは大人に合意する。 そしてこの信念はとても強いので、この信念のシステムが、私たちの人生のすべての夢を支配するのである。
私たちは、ママやパパが好むことをすると良い子と呼ばれ、望まないことをすると、悪い子と呼ばれる。 規則に逆らうと、罰を受ける。 規則に従っていれば、ご褒美を受ける。
私たちは、他の人たちを喜ばせるため、他の人にとって良い子であるため、本当の自分以外のもののふりをする。
やがて私たちは、自分でないものになっていく。 私たちは、ママの信念、パパの信念、社会の信念、宗教の信念の複製になっていく。
私たちの本来の性質は、こうした飼い慣らしのプロセスのなかで、失われる。
飼い慣らしのプロセスは、非常に強力なので、ある時点から、もはや私たちを飼い慣らす人を必要としなくなる。 私たちは、ママやパパ、学校や教会を必要としない。 私たちは、非常に良く訓練されてしまったので、もはや私たち自身で、自分を飼い慣らすようになったのである。
私たちは、自動的に飼い慣らされた動物である。今や、私たちは、与えられた信念システム、同じ褒美と罰のシステムに従って、自分たちを飼い慣らすことができる。 私たちは、信念システムによる規則に従わないと、自分たち自身を罰する。 そして「良い子」であった場合、自分たち自身に褒美を与える」
このようにして、信念システムは、私たちの心を支配する「法の書」となり、私たちは、すべての判断をその「法の書」に基づいて行うようになります。
その判断が、私たちの本性に反していると思われる場合でも、飼い慣らしのプロセスのなかで、私たちの心にプログラムされ、こうした合意が「法の書」にまとめられ、私たちの夢を支配しているのです。
そして、私たちの中にはその「法の書」によって裁く「裁判官」がいて、また同時に、その裁判によって裁かれる「犠牲者」がいて、その責め、罪、恥を背負うのです。
もし私たちが、今の私たちの人生が、苦しみの中にあり、恐怖の中で生き、感情的なドラマを創り出し、悪夢の中にあるとすれば、それはそのような夢を自分たちで創り出しているからなのです。
しかし、これらが「夢」であることのよいところは、それらの「夢」から醒めることができるということです。 また、その夢の構造に気づけば、自分でよい「夢」を見ることもできるということなのです。
トルテックの教えでは、私たちの心は「ミトーテ」という霧だといいます。 私たちの心は霧であって、何千もの人が同時におしゃべりして、しかもお互いに理解していないのが人間の心の状態です。
このミトーテのために、自分が本当はなんであるのか見えなくなっています。 インドでは、仏陀の教えでは、このミトーテのことを「マーヤー」と言っています。 それが幻影であって、「私は・・・である」という個人的な概念なのです。
そこで、本当の自分自身を見いだすにはどうすればいいのでしょうか? あるがままの自分自身でいるためにはどうすればいいのでしょうか?
それがオーラソーマでボトルを選ぶ理由でもあります。本当の自分自身を見いだし、ありのままの自分を愛し、本当に人生を楽しみ、幸福でいること。
もし、自分が不幸の中にあったり、いじめにあったり、虐待されていたりすれば、ただ虐待されることをやめればいいのです。
不思議なことに、最も自分を虐待しているのは自分なのです。
「あなたの人生の中で、あなたほど、あなたをいじめたものはいない。 あなたが自分をいじめる程度に、それにちょうど見合うだけ、あなたは自分をいじめることを許す。 もし誰かが、あなたが自分をいじめる以上に、あなたをいじめれば、あなたはたぶん、その人から離れていくだろう」
ここでの一番の問題は、あまりにも自分の夢、信念システムの中にはまり込んでいるがゆえに、私たちが自由でないことに気づいていないことなのです。 私たちが自分の悪夢を作っているということに気づかないでいるのです。
ですから、最初のステップは、気づきなのです。
自分が自由ではないことの気づき。自分が夢の中にいることの気づき。 その夢は変えられるんだという気づきが自分の内なる「裁判官」と「犠牲者」によって自分の人生が支配されていることの気づき。
自由になるためには、自分が自由ではないことに気づく必要があります。 問題を解くには、問題がなんなのかに気づかなければなりません。 気づかなければ変化は起こせないのですから。
「苦しむ必要はなにもない。 気づきがあれば、あなたは反撃し、もうたくさんだ、と言うことができる。 癒しの道を見つけ、自分の夢を変容させることができる。 苦しみは、リアルでさえない。 この地球の夢は、単なる夢なのである。 自分の夢の中へ入り込み、自分の信念に疑問を呈してみる。 そうすると、あなたを傷ついた心にさせたほとんどの信念が、真実ではないことに気づくだろう。 あなたは、長い間、苦しんできたあなたの人生のドラマが、全く無であることに気がつく。 なぜだろうか。 それは、あたなの心の中に据え付けられた信念のシステムが、嘘に基づいているからである」
そこで、自分の人生を支配しているのが、自分たちの作りだした合意であり、そして自分の人生の夢がイヤなものであると気がついた時は、私たちはその合意を変える必要があります。
そこで、これまでの合意を打ち破り、自分と結ぶ新しい約束。
それが四つの約束なのです。
次回は、その四つの約束について解説していきます。
お楽しみに。
尚 記
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