四時から七時が、胸のふくらむ待ち時間

ヴィッキーさんは今までずっと実の母親だと信じていたお母さんに、そしてこれまで母親として振舞ってきたお母さんに、「あんたは、お母さんじゃないもん」と言ってしまったんですね。(>_<)

でも、幼児のヴィッキーさんにそれを教えてくれた仲良しのお姉さんも、別に間違っていたわけでもありません。
その年齢の子には当然の智慧で、それを教えてくれたのでしょうね。
そしてそう知った幼いヴィッキーさんが切羽詰まって、それをお母さんに言ってしまったのも仕方のないことです。
また、それを聞いて、これまでと態度をガラリと変えた継母のお母さんにしても、本人の性質にしたがって起こすべき反応を起こしたのでしょう。
誰が悪いわけでもありません。

人生は、そういうふうに起こるようになっているのでしょうね。
でも、それからのヴィッキーさんの少女時代はとてもつらいものだったようです。
しかし、それにしても、わずか百年前には、イギリスでは子どもたちは午後の四時からもうベッドに寝かされていたんですねぇ。

そのベッドの中でヴィッキーさんはひとり微睡んだり、帰宅した父親の一挙一動を見つめたりしていたんですね。
四時から七時まで、ただお行儀よくするだけのために、幼児はひとりでベッドに入っていなければならなかったのだとすると、いかにも無意味な習慣のような気もしますが……。
でも、それもまた時代の集合意識の中で起こっていたことでしょう。
今だってやはり、後から考えれば、ずいぶんおかしな“硬直した”思い込みや生活習慣があるのでしょうから。

それもこれも、すべて自然現象のようなものなのでしょうね。
しかし、そんな制限のなかにあっても、その幼児の“黄昏時(たそがれどき)”の時間のなかでヴィッキーさんは最初の「過去生回帰」を体験していたようです。


しかし、子供の私は話し相手もいないまま、夜ごと秘かに枕を濡らしていました。
唯一の慰めと言えば、愛する父が夕方帰ってくるということだけ、彼はいつも必ず「おやすみ」を言いに来てくれることになっていたのです

私の寝室は食堂の並びにあり、たぶん赤ん坊の時からの習慣でしょう、私の部屋のドアも、食堂のドアも、いつも開け放しになっていました。
父の存在、そしてそのゆったりとした足音は、当時、誤解と不運によって私に降り注いでいた、あらゆる不幸を癒してくれたのです。

私は、うっとりしながら、ベッドに横たわっていたものでした。
食堂のテーブルの上のナプキンはあくまでも白く、銀食器はきらきら輝き、キャンドルの淡い明かりに、ワインの入ったガラス瓶が柔らかい光を放っています。
毎晩毎晩、まったく同じ儀式が繰り返されました。
七時に夕食が始まり、二人は一日の出来事を話し合います。


私は、父がデザートの洋梨の皮をむく手つきを、食い入るように見つめます。
それは、待ちに待った瞬間がやってくる合図でした。
父はいつも、みずみずしい洋梨の最後の一切れとともに私の元にやってきて(涙は久しく乾いておらず)、私に「おやすみ」のキスをしてくれることになっていたのです。

今世紀の初めには、子供たちは勝手が許されず、「早寝早起き」が広く実行されていました。
それは私たちの家も例外ではなく、父が夕方戻ってくるまでに、長い長い準備の時間がありました。
私は冬には、たいてい四時にはベッドルームに閉じ込められたのです。
四時から七時が、胸のふくらむ待ち時間でした。

父が現れ、「おやすみ」を言ってくれるまで、私は決して眠りにつくことはありませんでした。
寝室のすぐ外にあるガス燈にまだ火が入る前の、薄暗いベッドで横になっていると、奇妙なヴィジョンが私の意識の中へと漂ってきたものでした。
こうした感覚は、子供時代にある一定の間隔を置いて繰り返し現れ、私の生涯を通じて起こり続けたものです。

私はいつの間にか、知らない旋律の歌を口ずさんでいました

おまけに歌詞も意味不明で、その響きといい、意味といい、私の住んでいる世界とはまるで何のつながりもないような歌。
けれども不思議なことに、それはまるで、私が遠い昔に使っていた言葉のように、懐かしい響きを持っていました。

そして繰り返し現れる、あるヴィジョンがありました。
突然、まぶしい光が部屋中に満ちたかと思うと、背の高い、痩せた女の人が立っているのです
痛ましいほどやつれた彼女は、同じようにやせて、肋骨が透けて見えている猟犬を従えています。
飢餓の様子が、ありありと見て取れました。
にもかかわらず、彼らには育ちのよさと、威厳が感じられ、その気高さは、それはまぶしいほど。

私はほんの三歳ほどの子供でしたが、恐怖も不安もなく、繰り返し現れては消える彼らを見守っていました

彼らの身の上は哀れではありましたが、どこかで分かっていたのです。
これは彼ら自身が選んだことだ、と。

それは、彼らの歩むべき道だったのです。
このヴィジョンは、ある日、別のヴィジョンによって、その意味するところがすっかり明らかになるまで、何年も繰り返し現れ続けました。
その後、彼らは永遠の休息へと出掛け、そして、今生での役割へと戻ってきたのです。
これによって私は、自分の体験に対する十分な理解を得ることができたのでした。

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p13-15)
 


いろいろな制限があって、またそれぞれの味わいがあるのでしょう。
そんななかでもヴィッキーさんは不思議な体験をしていたようです。
家族の誰に知られることもなく後々開花する霊的能力の片鱗がすでに現れているんですね。
まるで、映画の一場面を見ているようですね。
pari 記
       
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